好みから環境、障害など含め、なんらかの事情で読書しない人は「読書は素晴らしい」「しない奴はバカ」に晒されて成長しているので読書を敵視する場合があるんだよな、と言うのは前も言ったか。ジジイなので繰言は勘弁して。
— TORI☆BIRD (@TORI_1100) 2020年11月30日
読書に関しては幸い読む側だったけど、スポーツ最高、球技(大抵人数多い)は特に素晴らしい、できない奴は協調性ない、音楽は至高、豊かな感性は音楽とともに、判らない奴に心はないみたいなのは辛い側だったので想像はできる。
言いつつ、若い頃、絵が描けると言うことは物を見る目と思考方法がなんとか言うて自己防衛を図ったりもしていたので偉そうには言えないのよね。絵も音楽もスポーツも本も、それ自体が楽しい、それ自体を楽しむものとして、余計な効能を求めるさもしさはなるべく捨てていきたいねえ。
本は20世紀に入って特に二つの大戦を挟んで?爆発的に伸びたニューメディアなので、信仰が広まったのもあるよね。小説なんか読んでたら馬鹿になる言われた頃から識字率の向上を経て本を読まないと馬鹿になる、になった。
子供の頃不思議だったな、本を読め、読んでる、それは漫画だ、的やり取りが。
本とは、紙を綴じたメディアを指すのでは?と素直に不思議であった。本ならいい、と言うのはテレビで言ってたから本当だ、ネットにあったから本当……と同じタイプの馬鹿だと今は思うけど、当時は流石に分からなくて。文字読むの好きだったけど本だからいいとは思えなかったなぁ。
今でもアニメだから、特撮だから観る、というタイプじゃ無いもんな……ジャンルが拡大したのもあるか。特撮は逆かも。
……話とっ散らかったな。
本を読むことを試練・苦行ととらえている人は、ライトノベル批判に傾きやすくて分かりやすい。80年代面白主義の流行を、曰く軽薄、中身がないだと批判する向きに、糸井重里が「面白くっても大丈夫」と返したみたいなものか。 https://t.co/40i4PtxiaW
— うが犬ん(´w`▽ (@ugar0) 2020年11月30日