3.11の記憶@スペイン・メモ

 3.11の時、スペインに留学中だった。真夜中よナイトクラブで語学学校の同級生たちと遊んでたら、数日前に渡欧してきたばかりの中国人の男の子が必死に私に何か伝えようとしていた。身振り手振りでもわからなくて、???の私に痺れを切らした彼が、翻訳アプリで、日本で大きな地震、と見せてくれた


 大きな、というジェスチャーを何度もしてくれた。家族に電話したほうがいい、と一生懸命だった。慌てて調べたけど、あまりよくわからなくて、事態が掴めたのはたぶん、朝になってからだったと思う


 次の日たまたま学校が休みで、知り合いの日本人学生で意味なくカフェに集まった。Wi-Fiを頼りにとにかく検索しまくった。津波の動画、原発のこと。私たちが日本人だとわかったたくさんのスペインの人が話しかけてきて、お金を置いていった。日本はいい国だ大丈夫、トヨタパナソニックソニーもある


 ホンダはいいサッカー選手だ、俺はポケモンも好きだ、寿司はうまい、うちの息子はマリオ大好きよ、とにかく自分が知ってる日本のものを並べ立てて励まそうとするスペイン人の優しさが身に沁みた。いつもはいい加減で、からかいばかりしてくる、スペイン人の嫌なところをあの時は全部忘れた。


 置いていってくれたお金は、日本語センターの東日本大震災用の募金箱にいれた。大聖堂ではみんな日本のためにミサをしてくれて、ここでも募金をたくさん募ってくれた。あの頃は原発のニュースが盛んで、ホストマザーには日本に帰らずしばらくここにいなさい、お金はいいから、と何度も言われた。


 貴女の健康は私が守る、貴女のお母さんに安心して、と伝えなさい。と背骨が折れるほど抱きしめられた。私の実家は関西だよ、とは伝えても聴きやしない。日頃うざいとすら感じてたスペインママの愛情はやっぱりウザくて、でもありがたかった。結局私は予定通り6月に1年半の留学を終えて帰国したけど、


 皆んな、なんとなく心配そうだった。あれから10年。あの時日本にいなかった日本人も、その周りの海外の人も皆、心から心配してた。哀悼の気持ちっていうものに本当に触れたのはあの時が初めてだった。まとまりないけど、10年の節目の振り返り。


 私はもし、他国にあんなことがあった時本当に哀悼できるのか。いい加減でも、ちょっとなまけものでもいい、人として正しく、悲しむことができるか。恥ずかしいなんて思わず話しかけてお金をおいていけるか。自信が無い。全くない。でも、スペインでは、大切なことを学んだと思う。


 もう一個思い出した。あの地震の後、留学仲間の外国人がみな、なぜ日本人は日本を捨てないのか?とよく聞いてきた。原発もああなってるし、移民になったほうがいいと。そんなこと思いつきもしなかった、と正直に言った。今更、日本を捨てる?被災地の方はみんな地元を取り戻そうと頑張ってる中?
るよ。で、ちゃんと働く。納税するよ、と言った。ドイツ人の友人は貴方達は勇敢だ、と言った。いまだに、この言葉には未だにピンとこない。みんな、そんなもんじゃないかなぁ。母国ってなかなかそんな簡単に見捨てられるもんだろか。みんな、勇敢とか、そんなことではなく、


 私はもし、他国にあんなことがあった時本当に哀悼できるのか。いい加減でも、ちょっとなまけものでもいい、人として正しく、悲しむことができるか。恥ずかしいなんて思わず話しかけてお金をおいていけるか。自信が無い。全くない。でも、スペインでは、大切なことを学んだと思う。


 もう一個思い出した。あの地震の後、留学仲間の外国人がみな、なぜ日本人は日本を捨てないのか?とよく聞いてきた。原発もああなってるし、移民になったほうがいいと。そんなこと思いつきもしなかった、と正直に言った。今更、日本を捨てる?被災地の方はみんな地元を取り戻そうと頑張ってる中?


 私は日本に帰るよ。で、ちゃんと働く。納税するよ、と言った。ドイツ人の友人は貴方達は勇敢だ、と言った。いまだに、この言葉には未だにピンとこない。みんな、そんなもんじゃないかなぁ。母国ってなかなかそんな簡単に見捨てられるもんだろか。みんな、勇敢とか、そんなことではなく、


 自分の生活を守るためだと思うんだけども。これは日本人だけのものなのかね?


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*1:こういうツッコミが平然と入ることも含めて、こういうのがTwitterなので、いいんだよ、と。