トーキョー2020の意味・メモ

 東京2020、パクリロゴの件から、セクハラに、豚演出に、障害者いじめに至るまで、ずーっと失敗ばかりなのは「ウソツキだろうが差別だろうがオラついてりゃ勝てる時代」の完全なる終焉であって、これは何千億というお金を投じてようやく膿として出されたものだと思う。


 今までの広告代理店が、満を持して送り込んでくる奴らが、ことごとく札付きシャバ僧ばかりで、「おいおい、ボスラッシュはこんなもんかー?」って思ったりする。
これで、日本の国力は終わったと見る人もいるけど、違う。「陽のあたる範囲と場所が変わった」のだと、前向きに捉えたい。


 まあ、そういう意味では、ラスボスに小山田氏というのが、もう歴史の教科書に乗っていいくらい完璧すぎる。


 だって、彼が音楽担当になるって発表されて5分もしないうちに過去のQJの記事を掘り返されたのだから。時代は変わったんだよ。たぶんね。

 これは、日本の終わりではなくて、日本の広告代理店の寡占(を基にした強引さ)の終わり、そして日和見政治の終わりであってほしいな。


 だからこそ、その前に五輪から降りた人、そして忖度なしに選ばれた人は(選手も関係者も)、評価されなければいけないと思うなぁ。

 もう、ミライトワソメイティしか信じられんやんw

 これ、コロナ禍だからの失敗じゃ、もはやないんじゃないかな…

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