電子立国ニッポンの闇・メモ

50年前の1971年11月15日付Elctronic News誌にて始めて広告されたi4004
4004は日本のビジコム社が開発費を負担してインテル社が開発した
ビジコム社の4004搭載電卓は売れなかった
4004の将来性に気が付いたインテル社は、開発費をビジコム社へ返却して自社発売を開始した
両社の運命の分かれ道となった


マイクロプロセッサ4004開発時に、ビジコン社が数億円を掛けて特許を取得していたら、IBM社並の利益を上げる事が出来たと言われている
電卓市場の価格破壊者だったビジコン社に、当時の通産省は、他の電卓メーカーを守るために潰れてもよい会社という扱いをしていた
ビジコン社の4004搭載電卓 141-PF


1972年ビジコム社は4004を約100ドルで仕入れて4004搭載電卓を16万円で販売していた(カローラが50万円の時代)
4004の販売権を獲得したインテル社はi4004のサンプルを1万ドル以上で売った
電卓だと16万円だがコンピュータとしては100万円以上の価値が出た
安売り電卓メーカーは、これに気が付かなかった

CPU開発の外貨割り当てを渋ったというお話ですね。
この辺は電子立国日本の自叙伝で述べられてますね。

当時、電卓業界を護送船団方式で振興させたい通産省と、業界秩序より価格競争を展開するビジコン社は対立していました
部品が調達出来ないなど苦労が有ったそうです
月刊アスキーでビジコン社の小島義雄社長を取材した事がありました
月刊アスキー編集室の近くに小さい事務所を構えて再建中でした