「日本能率聯合会と日本工業協会が合併して「社団法人日本能率協会」(会長伍堂卓雄)が設立されたのは、昭和17年3月30日のことである。」
#わかる人にわかればいいことを言う
「この日本能率協会が最初に取り組んだのは、期間3ヶ月に及ぶ「生産技術者養成講習会」の開催であり、教えたものは「宿敵アメリカ」の生んだ「テーラリズム」そのものであった。」
否応なく流入してくる「モダニズム」「アメリカニズム」の現実に対する不安やうしろめたさやその他もろもろのモヤモヤ感、が後押ししての「近代の超克」論だった、というのはおっちゃん前々から言うとるがな……日本浪漫派と同じハコ、当時流のポスモ・ニューアカ的(゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャと。
そういうモヤモヤ感を率先して鋭敏に感受する層としての、当時の「文学界」界隈に蝟集していたその頃の尖端的wインテリ知識人文化人衆が、まず前のめり気味に当時の空気や気分を言語化しようとした、と。
そんなこと率先して反応してしまう程度に、当時の「文学」界隈の尖端w層は、モダニズム・アメリカニズム的現実をどっぷり生きるようになっとったということなんだとおも。
新感覚派がどうこうとか、新興芸術派がどうたらとか、そういう既存の「文学史」的理解の枠組みとはもっと違う水準で、ということなんだが。
近年少しずつ自分的に合焦しつつある「広告・宣伝」の精神・民俗史/誌みたいな問いにしても、同じくそういう水準でのモダニズム・アメリカニズムの一環としてあったらしい、ということがほぼ確信持てるようになってきた。
これは先の「点と線、そして面」のハナシで言えば、「面」という「そういうもの」をひとまず棚に上げてなかったことにして、そこから改めて「点と線」をひっくるめて見直し&読み直ししようとしていったところから、初めて確信持てるようになったこと、ではあるらしいんだが。
同じ「点」が全く異なる様相、別の内実や意味あいを豊かにはらんで眼前に立ち上がってきたりするんで、そりゃやめられまへんわ、になるんだわな。
で、そういうのはナニ学になるんでしょうか、とかそういうマジメなw問いもたまに飛来してきたりするが、申し訳ないがそんなもん、
し ら ん が な (´・ω・`)
ではある。
その「そういうのはナニ学に……」という質問がまず脳内に浮かんでしまう、そういう習い性自体も含めて、それが「面」という「そういうもの」になっとるということに、まず気づけるのかどうか、なんだとおも。
気づいて、あ、こりゃあかん、になれるかどうか、も含めて。