石原慎太郎の思い出

 石原慎太郎の思い出をもうひとつ。
 彼は親分肌で「俺に任せろ」と言う反面、失敗に対しては部下のせいにすることがあった。その典型例のひとつが、羽田空港国際化だったと思う。


 羽田空港の再拡張と24時間化が完成したことで、夜間を中心に国際線を受け入れる余裕が出てきた。ただ、羽田空港を国内専用空港とすることで千葉県に成田空港を受け入れてもらった経緯があるので、羽田空港再国際化を提起するには、石原氏の政治的剛腕が必要だった。


 政治的に千葉県の反対を押し切り、国営空港の国際化を政府に認めさせるところまでは、石原慎太郎の政治的手腕の面目躍如だったと思う。


 ※ちょうど省庁再編の時期で、正確な境目との関係は覚えていないので、運輸省だった時期もあるかもしれないが以下、国交省と書く。


 東京都では、空港行政に詳しい職員を羽田空港国際化担当の局長級ポストに据えて当たらせた。


 「局長級」というのは、局長相当の権限を持ってはいるが、組織としては局を構えないということ。特定の政策課題に対して、大きな権限を持って機動的に対応する体制と整えた。国で言えば「○○担当大臣」みたいな感じ。


 羽田空港再国際化が決定すると、次は費用の問題になった。羽田空港は国営なので本来は国費で整備するべきだが、国交省は「東京都が欲しがったんだから、東京都も金を出してよ」と言い出した。東京都は原則論で「国の金でやるべき」と答えた。


 国交省はここで、「羽田空港が国際化すれば、すぐ隣の神奈川県も恩恵を受けるはず」と、神奈川県・川崎市横浜市にも負担を求めた。


 石原知事は「東京都は羽田空港の整備費用を負担しない」と明言したし、担当局長にもここは譲るなと指示していた。ここで石原知事は読み違えをしてしまった。神奈川側の自治体が、費用負担受け入れを表明してしまったのだ。


 東京都は梯子を外された。これで東京都が費用負担を受け入れなければ、「言い出しっぺの東京都がケチなせいで、羽田空港国際化が進まない」構図になってしまう。


 羽田空港担当局長は石原知事に費用負担受け入れを進言していたのだが、石原知事が受け入れるなと厳命していたので、この事態を回避できなかった。本当は都県市が同時に受け入れ表明するべきだった。


 石原知事はこの事態に激怒して、担当局長を左遷してしまった。どう考えても逆ギレだった。


 で、担当局長の左遷先が、よりにもよって当時僕がいた部署だったwww


 当時、その部署は局再編で、それまでは独立した局だったのが他の局の部に統合されたばかり。そのため、局長室が空室だった。


 局長室は書類置き場兼会議室として使われていたので、僕らは慌てて書類の入った段ボールを局長室から片付けて掃除をした。業務が減少して局組織が不要となり部に格下げされたところへ「担当局長」ポストを復活させても、仕事なんかない。完全な窓際だ。


 羽田空港国際化は、その後東京都が費用負担を表明したことで順調に進んでいき現在に至るが、そこまでの実務を取り仕切った功労者であるベテラン職員が最後に追いやられた暗部を、忘れることはできない。


 石原慎太郎氏は、就任直後は東京都職員を鼓舞して仕事を劇的に変えたヒーローだった。しかし、新銀行東京など問題が起きると責任回避に回り、オリンピック誘致のような派手な政策に傾倒して、周囲もイエスマンで固められていったように思う。


 種を蒔くのは得意だったが、収穫の苦労を共にするのは下手というか、面倒がっていたような気がした。