安倍国葬ガースースピーチの本質・メモ


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 菅前総理の弔辞について気づいたことを。まず、弔辞をスピーチライターが書いたのではないかといった噂が飛び交っていますが、私は本人が書いたと見ています。それはスピーチ冒頭にヒントがあり、ライターが書く場合あのような「7月8日…」からはじまる心情描写を選択しないだろう、と私は考えます。


 私の想像ですので外れている可能性も含めてお読みください。日本のパブリックな挨拶は基本的に岸田総理の弔辞のようなはじまり方をします。(「国葬儀が行われるにあたり…追悼のことばを捧げます。」)これは私たちの国の特性。挨拶や弔辞といえばこのようなはじまり方、という暗黙の型がある。しかし菅前総理は冒頭から心情を描写した。「あなたのお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。… 最後の一瞬、接することができました。」この特徴ある冒頭は、本人の納得感があってはじめて実現される新鮮な入り出しであり、彼が迷いなく話す様子をみて私は、本人の言葉そのものだと感じた。


 弔辞では感情を吐露されていた。私はこの仕事をするにあたりこれまで菅前首相の話し言葉を分析してきたが、彼の感情が露わになったスピーチを読んだ記憶がない。今回の弔辞は数多の感情で溢れていた。「哀しみと怒りを交互に感じながら…」「私は本当に幸せでした。」青い炎、本心が肉声で語られた。


 特に印象深かった言葉がある。「安倍総理…とお呼びしますが、ご覧になれますか。ここ武道館の周りには花を捧げよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。」菅氏は目の前の安倍氏に確かに語りかけた。まるで安倍氏が生きているように。この言葉はより一層聴衆の集中を集めた。


 他にも細かい点を上げれば、総理と呼ぶたびに視線を上げていたこと、銀座の焼き鳥屋で総裁選出馬を口説いたこと、1212号室の机上の本。語りたい事ばかりだが、総じて菅前首相の言葉が届いたのは「目の前の(記憶の中で生きている)安倍氏に向かって」話し「思い出を大切に記憶していたこと」ではないか


 菅前首相の弔辞を見ながら、かつての菅氏のことを日本社会が「伝え下手」だとレッテルを貼った事自体にも言及したい。言葉に思いを込めることができる菅氏があのような指摘を受けたのは、日本のパブリックスピーキングに蔓延る「正式な場面での文章の型化」に問題があるのではないかとも考えてみたい


 お決まり事のようにただいまご紹介に預かり、冒頭に来賓へ感謝申し上げる。話し言葉に適さない一文の長さ。はじめて聞く聴衆に配慮しない情報量の多さに、誰か読んでも同じ堅苦しい文章。結果、飽きた空気が会場に蔓延する。こんなスピーチのつくり方を永遠にしていたら真のリーダーは生まれない。


 前首相、現首相の言葉を聞いた私たちは今、自らはどんな言葉を普段発しているのか、自分ごととして考えていく必要がある。そして菅前首相のように「日本に蔓延るスピーチ文書の型化」から抜け出し、あなたにしか話せない言葉や思い、経験を語っていくことの重要性に気づいてほしい。