プラモデルの戦後史から・メモ

 樹脂による模型、鉄道模型だと1957年に天賞堂のプラスティック貨車が発売になっていますね。近年まで生産されていたロングセラーで、材質はスチロールではなくベークライト(エボナイトだと言われていたが、近年エボではなくベークである事が判明)


国鉄貨車:天賞堂ベークライト製発売とTMS誌 - TransPacific Railroad
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 「日本最初のプラモデル」と言われるマルサンのノーチラス号が1958年12月発売だから、それよりも早いのですよね。しかも試験的に売られたとかではなくて、大手模型店が大々的に売り出し、雑誌でも大きく取り上げられ、その後も長く発売されたロングセラー製品です。


Image: 60's鉄道模型コレクション - 天賞堂の二軸貨車、発売初年は1957年で ...
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 真の「日本初のプラモデル」であるのは日本プラスチックのゼロ戦であるというのが近年の定説ですが、wikiによれば1956年10月頃との事。天賞堂の16番プラスティック貨車は1957年早々には発売されていたようなので、ほぼ同時期…

日本プラスチック - Wikipedia
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 何を言いたいかと言うと、プラモデルというジャンル・フォーマットを大々的に宣伝して定着させたのはマルサンだけど、樹脂成型による模型製品はそれより前からあった…という事であります。そして、玩具の世界では戦前からセルロイドが使われていたと…


 マルサンより先に出ていたという日本プラスチックのゼロ戦、現物が残っておらず人々の記憶にも残っていなかったのは、当時それが「新しいもの」「革新的なもの」として認識されなかったからでは…というのが、後世の人間の勝手な想像ですが、どうなのでしょうか?


 日本プラスチックのゼロ戦、キット状態でどんな感じだったのか(部品はランナーに付いているのか、組立説明書はどんな内容なのか…)、写真でよいから見てみたいですね~


(樹脂と模型の話つづき)マルサンが最初に発売したプラモデルのうちの自動車は、和工樹脂の製品をマルサンブランドにしたものだった事は知られていますが、和工は自社ブランドで「ワコープラカラー」という塗料を出していた様ですね。


Image: 和工・マルサン ダットサン1000その3 : ぷらもった1960年代国産プラモ ...
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 「プラカラー」はマルサンよりワコーの方が先だった様ですが、ワコーやマルサンがプラカラー用意したのは「通常のラッカーはプラには使えない」からですよね。マメラッカーをプラモに塗って溶けて泣いた少年(現:ジジィ)は少なからずいるはず…


 現在の模型界ではMr.カラーやガイアカラー、タミヤラッカーを「ラッカー系」と呼んでるけど、あくまでラッカー「系」のプラ塗料であって、通常の金属・木工用のラッカー(溶剤が強いのでプラを溶かす)とは違うのですよね。


 昔の模型工作、木や紙や金属を素材としていたから、模型工作用として発売されてた塗料(マメラッカーなど)も通常のラッカー。
それらをプラモに塗ると溶かしてしまう。なので、プラモデルと同時にプラ用塗料を発売する必要があったと…


 ここしばらく考えているのですが、プラモデルというのは組立式のプラスチックで出来た模型ではなくて、プラスチック製組立キットとそれを作る為の塗料や接着剤その他を含めたトータルシステムなのでは……日本においてタミヤが別格なのは、キットだけでなく塗料も接着剤も揃えてるからかと。


 日本で最初にそれをやったのはマルサンですが、その次はタミヤじゃなくて、グンゼ-レベルなんですよね。グンゼクレオスは今ではプラモ塗料メーカーと思われてるけど、レベルのキット売るのが主で、それを塗る為のレベルカラーだったはず。