「内申美人」は苦労する・メモ

 定期的に「内申美人は苦労する」という話が盛り上がるのですが、塾講師として小中学生~社会人まで追っていると、世渡りの上手い内申美人に対して苦労話を聞くのは学力偏重の子。先月も最難関大の学生から「バイト採用で6連敗。高校の友人は10連敗。なにがいけないですか」と相談が


 中1から見ている卒業生なので「態度が横柄で上から目線で語っているように見える」と率直に伝えました。「僕は君の内面を深く知っているからそうでないことは知っている。でも、社会に出るとそうは判断してくれないよ。」本人も自覚はしていたようでした。


 難関高を目指す実力養成型の塾にいると「態度に難ありでも、日比谷や開成、早慶附属に合格する実力があるやつが偉い」みたいな世界に長く浸ることになり、一定数歪むんですよね。私は高校受験塾ですが中学受験塾も多くはこちら側。10歳で座席が成績順になる世界に浸ると、確実に一定数の子は歪みます。


 最近は上位公立・都立高すら筆記試験重視(親世代と制度が全然違う)大学入試もまだまだ一般入試は健在。その過程で“香ばしい感じに仕上がってしまった”一定数の子が、高学歴を得ても社会で求められる能力とのギャップに苦しんで、面接を受けても見抜かれてしまう。


 対照的に昨年、公務員1年目の報告をしてきてくれた子はこの種の話で言う「内申美人」の子。推薦で中堅私大附属に進み内部進学。学力は普通ですが安定したコミュ力、内申重視の塾で難のあった態度は塾長の強権で矯正され、社会に受け入れられる性格に育っていった様子をまじまじと見せつけられた子。


 彼が「公務員試験はコミュ力があればいけますよ」と語っていた通り、近隣の自治体は今やどこも面接重視。かつて筆記偏重だった自治体も続々と人間性評価に。民間就職も同じ。学力の足切りこそあれ、そこからは人間性や態度、コミュニケーションという数値化されない値での勝負。


 実力主義を謳う営業のお仕事だって、結局はコミニュケーション力、相手の様子を察する力、失敗を恐れず果敢にチャレンジする力など、数値化されない「非認知能力」の集合体。ペーパーテスト至上主義の特殊世界にいる人間こそ、このバランス感覚を失ってはならないと常々感じています。