困窮女子とブランドもの・メモ


ブランド物を身に着けてる=困窮してないって思考になること自体が、現実を知らないんだなあと思う。定時制高校で働いてた頃、生徒の中で一番派手でブランド物を持ってたのは明らかにネグレクトされてる子だった。水商売やらないと餓死しちゃうし、周囲から浮かない為にはそれが必要っていうな…

ブランド物を過度に身につけた人を、普通支援しなければない女性とはならない。
一般的な感覚からはかけ離れてる。それがわからない方がどうかしてる

LOVE BOATみたいなわかり易いギャル服着てたり、ヴィトンのモノグラムっぽい鞄持ってたら金持ってるって言いそうだなあこの人。本物の金持ち女子は割と見た目は普通のお洋服着てる人が圧倒的多数派なんだよなあ。地味な見た目=金が無いではないし、派手な見た目=金持ってるでもない。


ここら辺は多分女性なら理解出来ると思うけど、ある程度以上金持ってる女は、なんか普通の形だけど仕立てが異常に良くて素材のいい服着て地味だけど手入れされた顔してるし、ギャル服をわざわざ着ない。わかり易いブランド物も身に着けない。そういう下品なの嫌だわって人が圧倒的多数派な感じする。


男性でそこらへんを的確に見分けられるの、ファッション業界にいるような人だけなんだもんな。109に売ってるような若い子向けの派手めな服に似てる服は、全部お高いとか思ってる人が沢山いる。実際はしまむらみたいなクソ安服屋にも109の服屋のパクリ服沢山売られてるし、見分けなんてまずつかない。


大体、金持ってて生活に困ってない女は、Colaboみたいな支援団体にお世話になる事自体頭に無い。あれは貧困人の巣窟だから、一緒にいると同類だと思われちゃうわヤダー、位の感覚。税金チュルチュルなんて陰口叩かれたり、食うに困ってるなんて思われるのは絶対に嫌って人が多いと思うんだよな。


そこらへん、多分女の方が男よりプライドが高いというか現実的というか、本当に困ってないのに支援の手にすきあらばタダノリしようみたいなの少ないと思うんだよな。人目も気になるし、自分がそれやったせいでもっと困窮してる誰かが困ると嫌だな、みたいな同調圧力からの自己抑制な気持ちがある。


あそこに集う若い女の子達は、見た目ちょい派手に見えても何らかの理由で家庭に居場所がなかったり、性的搾取されたり虐待されたりしてる子が多いのは事実だと思うんよね。それをブランドバッグに見えるものを持ってたから保護対象じゃないとか言い切るのは、物を知らない男の仕草だなーと思います。


客に買ってもらった質流品のブランドバッグしか鞄持ってなくて、いつも高校の給食だけが一日分のまともなご飯だった彼女らを思い出すと、あのときColaboみたいな支援団体あったら絶対に紹介してたよなって思う。先生これ私が体売って作ったお金だから!って授業料を叩きつけてきた彼女にも。


夜の街しか低学歴・身元が怪しい彼女らが就労できる場が無いのは現代日本の純然たる事実で、学校はちょっとでもそれが違う状況になるよう必死で色んな事を教えようとするし、福祉にも繋げようとするんだけどさ。身分が安定してる【先生】は私の事なんかわからんよって絶望してる子が沢山いるんだよな。


Colaboはそういう子達の受皿というか社会との接点を作り続けようとする有り難い団体だと思うんだよな。そういうのに一々言いがかりつけて、それこそ対案も出さずに若い困窮してる女性をもう一度夜の街へ追い込むような仕草してる連中に対しては、心底怒りしかない。手前の狭い世間どうにかしろや。


友達やお店の客から貰ったブランドバッグ(中古)に、しまむらやAvailで買ったブランド服そっくりのパクリ服数着を延々着回してて、ブーツのヒール壊れてもお金なくて買い替え出来ないって事務室にアロンアルファくれって言いにきた彼女は元気かなって今でも思い出すし、苦しい気持ちになる……。

そうですね。
私は私が知る範囲のことしか知りません。私の感覚では、ブランド品は基本的に贅沢品と思ってます。
周囲から浮かないためだけにブランド品を購入できるのであれば、ゆとりがある方だと思うのですが、、、
例えの方は立派ですね。その方は支援が必要な人だとは感じておられないでしょう。

ブランド品持っててもそれは自分で買ったものじゃない事も多々ありますし、金持ってるとか保護対象にしなくていい証左にはならないんですよ。鞄をそれしか持ってないし自力では他の鞄買えないからこれ使ってる、って子もいます。例で出した子だってその時代にColaboあったらお世話になったかもですよ。

そうですね。
私も多少一面的な見方になっていたかもしれません。正直colaboにはいい印象を感じていませんが、救われてる人は0ではないと思います。
私は、人はずっと人に甘えて生きてはいけないと思ってます。助けるのと甘えさせる区別は必要だと思って書きました。

ご自分の矜持があることはとても良い事と思いますが、この人は助けていいけどこの人は助けてはいけないみたいな考え方は、選民意識の発露以外の何物でもないですよ。それと助ける事と甘やかす事は同意じゃないし、彼女らからまず信頼されなきゃ内情を知って必要な助けを出す事もできないです。

選民思想ではないとおもっているのですが。
人が人を助ける以上、無限に助けることはできません。しかしながら人である以上支援してもらえなければ、不公平を感じてしまいます。
であれば、支援が本当に必要な人を見極めることも必要だと考えます。

服装で支援を要するかどうかは判別できないと仰るのなら、当のcolabo(というか都の)『本事業の対象者は、性暴力や虐待等の被害に遭った又は被害に遭うおそれのある主に10代から20代の女性であって、都が本事業の対象とすることを適当と認めた者』が曖昧である事に疑問を持たれないのでしょうか。