「知的少女の神聖さ」なんだが、インテリのオッサンらがうっかりハマりやすい素地というのがあるんだわな。
— 狸穴猫/松村りか (@mamiananeko) 2023年4月29日
大正新教育運動の時期というのは心理学の興隆の時代でもあり…美学との関連で、うっかりすると「美的判断のするどい知的少女」を祀り上げやすくなった時代でもある。 https://t.co/1MDpXAuRQF
「知的少女の神聖さ」なんだが、インテリのオッサンらがうっかりハマりやすい素地というのがあるんだわな。
大正新教育運動の時期というのは心理学の興隆の時代でもあり…美学との関連で、うっかりすると「美的判断のするどい知的少女」を祀り上げやすくなった時代でもある。中高年男性諸君、成人済みの女性に「知的少女の神聖さ」を感じてしまったら、それはたいてい性欲なので、世間体と社会性の公式に当てはめてから言語化してくれたまえ!
大正新教育時期のの教育学者、阿部重孝(帝国大学)の論文を三つほど挙げておこう。
兒童の美的判斷の研究に就いて
jstage.jst.go.jp/article/jjpsy1…
兒童の美的判斷の研究に就いて (二)
jstage.jst.go.jp/article/jjpsy1…
兒童の美的判斷の研究に就いて (つゞき)
jstage.jst.go.jp/article/jjpsy1…
これ自体は比較的中立的な考察ではあるし、「総合的判断」に関しての評価も含まれるんだが、生半可に読んでしまうと
「女子の美的感受性は優れている、そこを活かすべし」とか「美に関する記述能力の高い女子は優れている」
ってな素っ頓狂な結論に行きかねないわけさね。
#すべては劣化込み
この論文自体は「対象が絵画に触れた時」についての限定的な実験考察ではあるが、視点がミクロに行きやすい子とマクロに行きやすい子とがいる…という結論を得ているのという部分は、なかなか興味深い。
ただ、読者の目を通した「劣化」に関する予防柵がない…のだな。
さて、大正自由教育の興隆時、子どもの内発的なものを重視し「感受性の発露」を誘発する意味で、表現教育(図画や作文、作劇、討論など)を矢鱈と持ち上げる向きもあった。
「子どもに対する表現教育」
の盛り上がりは起こったんだわね。デューイの自由教育がベースだろう。
かくして「感受性」とやらが、能力観に組みこまれていった感じである。図画教育論あたりで雑誌レスバが盛んであった模様w。
もう一つ阿部重孝の著作をひっぱっておく。1923年の「幼兒の美的陶冶」という稿だ。「幼兒教育」という雑誌に掲載されたもの。
cir.nii.ac.jp/all?q=%E9%98%B…
まあ、都市部富裕層における幼児教育における「なにかにつけて解像度の低いボンクラ男児」に対する処方箋と考えれば、そこそこわかる気もするが、無闇に範囲を拡大すると、これまた劣化の元になりそうな文章である。
「美的陶冶はだいじ」「絵本は芸術的であるべし」しか読まない人はいそう。
阿部重孝自身がそうであったとはあまり思えないのではあるが、その時代、教育学者や教育者の中で「(美的)感受性」に対する、過大な価値の付与が起こっていても不思議はない。それが、現場の図画教育や綴方教育といった方面に影響を与えていったようにも思う。
それは、「己が感覚」を自画自賛するようなナルシストを増産する背景ともなっただろうし、一部のインテリ層の中に「知的に尖がった美少女」とかいう謎の憧憬対象を発生せしむ原因ともなったのではないだろうか。
教育のなかにそういったものがとりこまれていく中で、その風潮の産物としての、ある種の男性文化を利用して「神聖化されるべき知的女子像」といった方向性で自己を構築していく女性側の処世術もまた生まれるような気はする。
「ナルシスティックな人文オタク」と「父の娘」は持ちつ持たれつなのである。
「視聴覚文化」なり「視聴覚教育」なりについて、殊に戦後のある時期から一気に前景化していったそれに関して、あれこれ触ってみてきている手前、いろいろと示唆に富んだメモではあり。
そういえば、花田清輝がこんなことを言っていたっけ。
梅棹忠夫の文明論が、ヒンズークシ地方を旅行しているあいだにおもいつかれたものだというので、加藤周一は、アフガニスタンの天幕のなかで考えると、日本もまた、高度文明国にみえるにちがいない、とかなんとかいって、旅行者の「貴重な実感」に大いに敬意をはらっていたが、どうやら近ごろでは、学問の世界へ実感をもちこむことが、たいへん、流行しているらしい。「いじるということ」のなかでも、ちょっとふれたが、久野収、鶴見俊輔共著の『現代日本の思想』にしても、亀井勝一郎の『現代史の課題』にしても、すべて加藤周一のいわゆる「貴重な実感」が溢れていた。(「砂のような大衆」)
「実感」とは、ひろゆき流に言うなら「個人の感想」であるだろう。その「個人の感想」を敢えて表明すること、が戦後のある時期に一気にタガがはずれたように流行りはじめていたらしい、その証言のひとつとして。
あるいはまた、このへんの証言とも。
六○年世代にしろ、私たち全共闘の団塊にしても、個人の主張とか、欲望、衝動を、出してもいいとまでは言わないけど、言うぐらいのことは言ってもいいんだろう、少なくとも葛藤があることは恥ずかしいことではないと、肯定してくれた。
建前と本音じゃないけど、本音を言ってもいいんだ、と、誰かにオーソライズしてほしかったわけだ。それをしてくれた者が今度は自分たちの知的ヒーローになる。まさに吉本はそれで、本音でいいんだぞ、とオーソライズしてくれたんだよ。しかも、それをはっきり対幻想という形で「社会は幻想として成り立っている。個人幻想と対幻想と国家幻想によって成り立っている。これは重要なものですよ」ということを言ってくれたわけだ。それは、私があれを最初読んだのは、たぶん一九歳か二十歳ぐらいのときだから、(対幻想を含めて重要とか)そんなことを言われてもなあ、としか思わなかったんだけど、一、二年たってくるうちに、ああ、そうなのか、エンゲルスと照らし合わせて考えたら、こういうことを言ったのか、と納得がいったね。
考えたら、本音と建て前を二項対立にして、本音の方に力点を置いて語る風潮は、この三十年来のことなんだよ。私の学生時代には、本音と建て前を分け、本音に力点を置いて語るとか、建前はいけないという議論の仕方は、まずしなかった。
そういうのは禁じ手というか、そういう二項対立でものを考えないのがそれこそ建前だったわけでさ。それが本音が常に尊重されるようになったのは、やはり七○年が過ぎてからだ。議論とはある意味、建前をかわすことで、本音だったらそれはナマの政治になってしまう。目的遂行のためには手練手管も辞さないという、身も蓋もない話になってしまうじゃないか。