「枯れる」ということ

 能力の劣化老化ってプラスの方向の能力が落ちるだけでなく、逆の方向でもあると感じる。うまく言えないんだけれども。

 前向きの能力に見合った余裕というか、強弱つけたり良い意味で手抜くべき所で抜くことができたり、そういうところも同じく劣化老化してゆくような。プラスの方向の能力に見合った余裕余力、視野の広さとかそういう部分も、劣化老化に伴ってできなくなってゆく感じ。単に無理がきかなくなるとか体力がなくなるとかだけでなく、そのなくなってゆく分に比例して全部が縮小萎縮してゆくような印象なんだが。

 「枯れる」ということの内実。単にプラスの方向の能力や体力などが減衰してゆくだけではないらしいこと。プラスの方向に伴って担保されていた余裕や視野、調整や制御できる範囲なども一緒に狭くなってゆくらしいこと。そういう意味で「枯れる」過程で初めてまた「見える」「わかる」ことというのも、どうやらまたあったりするらしいから、ニンゲン生きてくってことはいろいろとオモシロくもまた興味深いものらしいなぁ、とかいろいろと。

 プラスの方向の能力体力などが大きいとそれだけ逆方向の余力や視野も広がる理屈で、全体として選択肢が増えたり大きな仕事に届いたり出来るんだけれども、でもだからと言ってプラス方向のそれが大きければ大きいほど有利なのか、というとそう単純なものでもないらしく。やみくもに能力体力任せに突き進むだけだとそれに伴う余力や視野の広さとその利点をみすみす気づかぬまま、というのも割とありがちのようで。「若い」「青い」などとネガティヴに言われる事態というのはきっと概ねそういうことの表現でもあるんだろう、と。

 でも、そういうことも或る程度トシ喰って「衰え」や「枯れ」が自覚できるようになって初めて思い当たる可能性も出てくるものらし。できなくなったこと、によって初めてそれによって担保されていた余裕や視野に気づいてゆけるんだが、でもそれは必ず「後知恵」としてでしか訪れないものでもあるらしく。