関川夏央の記憶・雑感

二十代のころ、わたしは関川夏央の文体を真似した失敗作をたくさん書いた。深夜、阿佐ヶ谷のファミレスで原稿を書いた。恥ずかしい過去とは思っていない」
文壇高円寺『二十八年前』

 僕らが10代終りから20代になる80年代の終わり、バブルの影に隠れて今ではあまり語られないけれど、一部若者の間でちょっとした政治の季節があった。当時の文化を主導していた団塊世代の、全共闘運動挫折の反省もあって、「真面目な話をするのは暗い」「正義を追究するのは危ない」という空気が世を覆っている中、それに息苦しさを感じて登場した尾崎豊ブルーハーツの素朴な正義感に共感した。そんな中、チェルノブイリ原発事故あたりに始まり、天安門事件昭和天皇崩御湾岸戦争、そしてソ連崩壊と東西冷戦の終わりといった時代を画する事件が続き、若者のバンドブームの中でもより社会的、政治的なことを歌う人が次々に登場したりもした。


 ただ、自分は、周囲のそうした人達に、遠くの不幸や不正義には声高に格好よく物申せても、自分を含む小さな世間のイジメなどは、関わって楽しくないから無視してしまうような狡さを感じて、本気で乗ることが出来なかった。彼らがバカにする尾崎豊の「誰が誰を責められるこの生存競争を勝つために闘う人々を」という叫びが刺さり、より純粋なものを求めて高野悦子さんの『二十歳の原点』を親友のような気持ちで読んだ。


 ただ、そうしているうちに、本当に純粋な気持ちでいると、死ぬしかないのではないか?という疑念が大きくなっていった。『二十歳の原点』について語っている文章にも当時目についた限り当たったが、初めから恥ずかしい過去か、可哀想な例外と片付けられていることが殆どだった。一方感傷的に共感を語っているものにも、では何故あなたはまだのうのうと生きているんだ?という、近親憎悪的な疑問が拭えなかった。そんな中で出会ったのが関川夏央『砂のように眠る』所収の一文だった。


 もし、今初めて同じような疑問を感じている方がいたら、一度読んでみてください。