こちら側の「われわれ」感覚、自明の「そういうもの」としてあるそれらの意識を具体的に脅かす、日々暴力的な局面含めて侵害してくる、そんな「異物」「理解不能」な厄介ものとしての「異文化」というのは、実は本邦、これまでほとんど体験してこなかったと言うていんでね?(小並感上等)
てか、「異文化」は国境の外、海の向こう側にあるもので、本邦国内日常生活の間尺で否応なく「ある」ものではなかった、という事情は大きいとおも。在日やら沖縄奄美やら何やらは論われてはいたけれども、でも、悪いがモノホン生一本の「異文化」とはモノがやはり違ってたというか。
で、それは「文化」論的な話法や枠組み自体が役立たずというより、当時の本邦における「文化」(という概念)の理解が、そもそも〈いま・ここ〉と対応しないままの空中戦みたいなものになっていたのが悪さしてのこと、なんだとはおも。
「文化」論的な話法なり解釈枠組みなりは、戦後ある時期からインテリ知識人文化人的「良識」しぐさの必須アイテムみたいになっていったところがあるんだが、それらがひとめぐりし終わって、〈いま・ここ〉の眼前の現実に実は役立たずであることが思い知られるようになってきたというのはあるとおも。
あと、別の角度だけれども、「異文化」を「理解」する的な解釈枠組み、根拠ない「共生」話法だけ一部界隈で声高だが、そもそも「文化」として「理解」する/すべき的な枠組み自体、もう決定的に退潮してしもとるんかもしれんなぁ、とか。
一時期の西川口の隆盛、ってそのへんからんでたはずですしねぇ……クルド人問題、当然、はよ何とかせぇ、なんだが、ただ、いろいろそれとは別に考えにゃあかんお題はあれこれあるように思うとる。
たとえば、地元の任侠筋とかはどうなっとるんだろう、とか。いや、川口や蕨界隈にもともとその筋おらしたのかどうか不知だし、あるいは壊滅してしもとるのかもしれんけれども、自警団的な動き方とまで言わず、地域の治安維持に関与するそれらの痕跡、とっくになくなってしもとるんだろうか、とか。
川口市内に住吉会系と極東会系の暴力団事務所がそれぞれあるみたいですね。当地の土地鑑無いので、クルド人居住地との地理関係がどうなのかは分かりませんが。
領家一家は栄町にあって、地理的には川口市の南西にいますね。
https://yakuza.wiki/?%E9%A0%98%E5%AE%B6%E4%B8%80%E5%AE%B6%EF%BC%88%E4%BD%8F%E5%90%89%E4%BC%9A%EF%BC%89
クルドや中東系の人たちは北側や東川口周辺に多いです。地価が安いし、建設や造園業ほかが多い地域ですね。ただ少し関わりはありそう。川口市は、西側と東側で街の雰囲気が違うので色々とありますよ。
まあ、埼玉県に三十年。川口市に十年近く住んでる人間から言えば、(あの病院にもよく行きますw)元々治安の悪いトコロに若くて学のない外国人が多めに来たってだけですわ。それ自体は、川口では何度も繰り返されてる話でして。対策は区画整理と警察署の新設と巡回強化しか無いです。