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「懲戒解雇」から3年半あまり。民事でここまで時間がかかるとは思わなかった、というのは何も素人の感想というだけでもなく、当方代理人の弁護士も同じように「長くかかりましたねぇ」と言っているくらい。少なくとも、一審地裁の判決がこの2月に出て、その時点ですでに2年と8ヶ月、長かったというのはこの時も言われたのだが、二審控訴審の予測としては、何もなく初回期日の即日結審ならば、まあ、判決もらうまで3ヶ月見ておけば、という程度ではあったのだ。
それが、7月に初回期日で即日結審、判決予定が10月、と言い渡されるまではよかったのだが、裁判長が「え~と、一審で和解勧告はされてなかったんですね?」と言い始め、やってないことを確認した上で「だったら、まあ、一応やることやっときますか」と言いつつ、和解の可能性を探る手続きをほのめかしたあたりから雲行きがいささかあやしくなった。9月の2回目期日で「金銭的和解の方向を探れませんかね」という提案になり、大学側としては何が何でも年度末3月まで引っ張りたいのだから、嘘でもそれに乗る構え、こちらもここで和解提案を蹴っては心証悪くなるので乗らざるを得ず、だったら10月の判決期日は取り消しで、となって、ムカつくことにこの時、相手方の弁護士――つまり理事長の事務所のあんちゃんだが、やったぜ!という喜色満面になりやがったのを、自分も当方弁護士も見逃していなかった。
その後、期日を重ねて何とか大学側を往生させる目安がついたものの、10月で決着が一応つくはずがさらにふた月のびてしまって、今の時点でとうとう3年半。よくもまあ、食いつないで生き延びてきたものだ、と、われながらしみじみする。
とにかくいきなり収入の途が絶たれたわけで、貯えと言ってもそんなものまともにあるはずもなく、保険だの年金だので積み立てておいた分を担保に借金したり、はたまた解約したり、借りられそうなところからは四方八方、この間の情けない事情を説明して借りてまわらねばならない始末。これまでも、いわゆるサラ金含めて、追い詰められての借金は何度かしたことくらいあるけれども、今回みたいな長期にわたって先行きの見えない状態での借金沙汰は、60年以上生きてきて初めての経験ではあった。
そういうわけで、カネはない。ないけれども、でも時間はできてしまう。なにしろ大学の講義や演習、ルーティンの予定が一切合切いきなりなくなったわけで、およそそういう予定というものがないのだから、そりゃヒマにはなる。と言って、何か見定めてのしらべものなどはそうそうできない。何しろどこかへ出かけること自体、おいそれとできなくなっているわけだし、何より抱え込んでいた古書雑書その他の本そのものが大学に拉致されたまんまなので、身の回りの手持ちのものと、あとは「懲戒解雇」以降、ささやかながら拾ってきたものしかない状態で、すでに3年半。そういう環境で、まあ、少しずつ落ち穂拾いみたいにあれこれ読んでいるしかないのが、逃げも隠れもしない、このところの現状ではあるのだ。
例によって半世紀かそれ以上昔のものばかり、そこから派生的に拾ってゆくものも当時のもので、考えたらその頃の人がたの情報環境と言語空間を〈いま・ここ〉で日々、ゆっくり追体験しているようなものかも、と、ふと。
そのせいかどうか、かつて読んだはずのものに再びめぐりあっても、全く違う相貌が活字の向こうから現われてくることが割とある。当時どういう読まれ方をして、どういう気分や感覚が当時の生身に宿り得ていたのか、〈いま・ここ〉からあらためて初めて体験しているような印象すらあったりする。
もうこの時代、この21世紀は2023年、令和の御代に生きておらんようになりながら、それでも生身だけは淡々と日々呼吸しているのかもしれん。
なるべくおんもにゃ出るように心がけとるけれども、歩いて出るのは近所の買物か散歩程度、あとは割と日課になっとる珈琲屋や喫茶店に出かける時くらい。金策や裁判沙汰の打ち合わせその他の雑事はあれど、そうか、定年後は隠居の日々ってのは概ねこういう感じなのか、とこれまたあらためて。