https://t.co/BATpf0wL95
— ホモ東さん (@pannacottaso_v2) 2020年1月17日
私もそれで良いと思います。
ただしそうすると現在存在を擁護されているマージナルな弱者は、社会から締め出されます。
その時先日の洪水のときにホームレス絶対助けろと仰っていたダダさんは何を思い、言うのだろうと嫌味ったらしく私は思うのです。
もう一人夜勤疲れたよ。
— 🌟新米パパの育児×介護🌟 (@xCBLwxKGa8blLfU) 2020年1月16日
いい加減やめようよ。
これ永遠に続くの?
百回行っても変わらないの?
利用者や職員が死ぬまで継続?
休憩も取れないし、緊急の対応も難しい。
夜勤はただでさえ、病気のリスク高いのに、一人夜勤は心身ともに病んじゃうよ。
この形態そろそろ止めない?
夢なら覚めて日本
「労働者」という定義のしかた/されかたが、おそらくもう世間一般その他おおぜいの意識にとって切実なものでなくなってしまっていて、それはおそらくその「労働」というもの言いに重心の大方がかかっていたがゆえの色褪せ具合なのだと思っている。
若い衆にひとつ話ですることのひとつに、「労働者」の「労働」とは肉体労働であり、おのが身体を酷使して生身の筋肉をきしませ、汗と埃と油にまれて「真っ黒になって」働くことが自明の前提だった、というのがある。ホワイトカラーとブルーカラーという対比などもからめて、でもある時期まで背広着て机に向かって書類をいじる、いわゆるpaperworkは「労働」とは見做されていなかった、ということあたりまでも含めての説明。
いわゆる「接客」業というのが「労働」の範疇に入るようになっていった過程、というのも考えてみる必要があるのだろう、そもそものその「接客」というもの言いがあたりまえに成立して使われるようになっていった過程も含めて。社会的に表立って認知されていないような仕事として、基本的にそれら「接客」というのはあったわけで、マチの特殊な環境で成り立っていたような正規の水商売(妙な言い方だが)や大店の料亭や割烹などの類を別としたら、一般的にはそのような商売に携わる側の、身内の人手を割いて担当するようなものが基本的な形だったはずだ。
何度か触れてきたと思うが、「外食産業」というもの言いについても、その「外食」自体が言葉として成り立っていった後に、そこに「産業」などという重厚長大なしっぽが堂々くっつくようになったのは概ね80年前後のことらしく、そうなるとその「外食」の語感の裡にはらまれていたはずの「接客」という仕事にしてもまた、「産業」の重厚長大に否応なく従属させられてゆくようになってゆく。そういう重厚長大、別な言い方をするなら大文字抽象概念によってカバーされる領域が一気に身の丈を越えてしまう敷居を無視して「接客」もまた、それら「労働」だの「経済」だのといった大きなことば、漠然としたもの言いの側に奪われていったのだろう。
冒頭のTweetで語られているのは「サイゼリヤ」「呑み屋」「蕎麦屋」「ファストフード」であり、つまりいずれもそういう「外食産業」の「接客」という局面においての「労働者」の「モラル」が問題にされているというあたりの事情は、これらのTweetをした側も、そしてそれを素材にあれこれ吐き出している側も、共にあまり意識されていないように見える。「消費者」としてそれら「接客」という局面で「外食産業」に従事する「労働者」の立ち居振る舞い言動その他を論評する、それが一直線に「労働者」の「モラル」としてだけ語られてゆく現状自体が、ある意味その「労働」の内実がかくも偏った(と敢えて言っておく)、萎びたものになっていることを裏返しに証明しているように思ってしまうのは、例によって老害化石絶滅品種脳ゆえなのだろうか。