知識という資本について・メモ

 人により成果は違うが、消費した知識は元手以上の知識をもたらす。私はこれをΔ知と呼ぶがこれは既存教育より創造的で効率的である。ネット社会で創造的知識消費ができれば専門家が生まれる。その欠点はその知識に権威が伴わないということだが、気にするな旧世界の権威が溶けてる時代だから。


 知識を消費する(研究をする 商品を創る 本を書く 特許を出願する 大衆に語る 友人に語る Youtuberになるなどすべての構想や言語の対象化行為)ことで、知識が増大する。


 かつてこのΔ知資本は発信に膨大な元手を必要とするメディアと呼ばれるカネの力の独占だった。しかし発信コストがほぼタダになり知識がカネを上回る時代になった。発信の不完全性さえ元手以上の知識をもたらす。それが炎上と言われる不特定多数の反応でも知識をもたらす。