「わかる」と、勉強できる、の間

 これはマジで、アタマノヨサが普通の子の勉強できるできないの分岐点って「話を聞いてすぐにわからないとき、わからないことを自認し、わからないことに耐えられるか」だと思うのよね


 できない子になってく子って、その場で全て理解し切らないと「もうわかんない無理」ってなるし、だからこそ全部パタナライズ・マニュアライズしてもらって、それに従ったら「なんか知らんけど問題が解けた」みたいな状態を欲しがる


 要は考えて理解しようとするという行為って通常苦痛であり、通常それを避けて点数取れるようにしてほしがるんですよね
ダイエットしたいけど運動したくないみたいなのと同じ


 んでここからはお気持ちの愚痴だけど、こういう「わかんないけど考えてみる」を苦痛に思わないためにはどうすればいいかって、幼少期の教育しかないんですよね


 小学校でいかに「実は整備された土俵で放り出されて考えさせられる」経験がどれだけあるか


 それが一方今は正に先に挙げたできない子を量産する教育がなされてて、「授業その場で全て理解させる」ことを至上とする謎の価値観と「理解したか否か」をテストの点のみで評価する浅薄な基準で、正に全手順化型のオーバーコーチングがされてる


 幼少でこういうことばっかしてたら、その子がもし頭の回転の速い子なら大学受験ぐらいまでは難なくその場で理解できちゃったりするけど、そうでない子がどこかで「その場でわからない」になったときに「わからないことを考えてみる」経験がないせいで、人間16歳程度にもなって初めて出会う事柄には耐性なんてあるわけないんで、正に先に挙げた「考えるのが苦痛」状態に陥って完全にドロップアウトしちゃうんですよね


 だからこそみはじとか掛順とかっていう「概念を無視した手順化指導」ってのはアカンわけなんだけど…この辺のことって多分中高生を指導したことないとわからないんじゃないですかね…


 だからこそ小学教員にはせめて高校ぐらいまでの内容は押さえてて欲しいし、つまりどこでどういう考え方をすると高校内容のどこで詰まるのかとかがある程度わかってて欲しいし、そういう意味でのセンター7割とかって話なわけだが…


 まあしかし皮肉なのが、これを見ても多分小学教育脳の人間は「それは高校の内容をその場で理解()させられない高校教師の技量の問題!」ってなる(仕方ない、そういう価値観をブラックな環境で日夜叩き込まれてるんだからそうならざるを得ない。いわば洗脳である。)だろうしまあ恐らく響かないんだな