はみ出した者、の受け皿

 いつだったか堀江貴文さんが寿司屋で10年修行なんて無駄、学校やYouTubeで学べば1ヶ月でできるとおっしゃていました。


 彼の様に頭が良く、行動力がある人にとってはその通りかもしれませんが、世の中には家庭に問題があったり、本人が逃げてばかりで15.16歳くらいからカタギ社会からはみ出してしまいそうな若者を真っ当な大人に育てる器が社会にあったんです。だから就業でなく修行と言ったわけです。


 優秀な人間を前提とした、行き過ぎた労働者保護や労働環境の効率化はこういったダメ人間矯正施設である商売を尽く潰し、大資本の非正規雇用や使い捨て請負業従事者を大量に生み出し、中年になっても家庭も待たず、家も自分の商売も持てない人間だらけにしました。


 寿司屋に限らず、10年修行しろの裏には、商売をする上で必要になる社会の仕組みや周りの人たちとの接し方を教え、本人に社会的信用をつけてあげる為に必要な期間なのであり、修行を終えた時、大将の口利きがあれば多様な業者との繋がりを持て、独立資金等も借りる事ができたのです。


 卑近な例ですが、15歳でウチの店に来て、複雑な家庭環境ゆえに一度高校中退し、夜間高校に通いながら10年ほど働いていた若い子が今は立派に社会人として頑張って働いています。


 手前味噌ですが、その子に先日会った時、15の時、社長のところに行かなかったら自分の人生、どうなっていたかわからないと感謝されました。私は特別なことは何もしてませんが、現場のスタッフが時には厳しく、時には優しく話を聞いてあげたりしてちゃんと育ててくれていたんです。


 そんな弊社もこの3年で人を雇うことが難しくなってきました。若い人を育てるには責任が生じますから、続ける事ができるかわからない状態で受け入れられません。10年なんて無駄と言い、飲食というだけでブラックという前にどうか我々みたいな零細飲食には色々な事情があることを知っておいて下さい。

 立派な企業でさえも「育てる」をしなく/できなくなってしまったらしい、いまどき本邦の昨今。労働力として「だけ」人を見ることに徹底するなら、そりゃあ促成栽培で小手先のことだけ教えておいて、当座の間に合えばそれでいい、それで現場に間に合わなくなったり必要なくなったりすればそれはそれ、とっとと切り捨ててしまえばいい、それが「合理的」な考え方だ――ざっとこんな理屈で、いまや人は「人材」となり、会計・経理的目線からは「人件費」ではなく、それこそ消耗品などと変わらんような扱いになるのがあたりまえらしい。

 人材派遣に関する一切の費用は人件費ではありません。


 人材派遣の利用は、派遣会社が雇用する人材を自社にて就業させるという「いちサービス」を利用することであり、新たに人材を雇用するということではありません。


 人にかかるお金ですので、つい人件費と混同しがちですが、派遣は人件費ではなくサービス利用料金であると理解し、人件費とは明確に区別をしましょう。


 なお、課税扱いの人材派遣の料金を非課税扱いの人件費として計上してしまうと、消費税の納税の計算間違いに繋がりますのでご注意ください。

 このへんよくわからんのだけれども、およそ「非人間的」な扱いという筋から文句つけるお約束な人がたってのは、これまで出てきたんだろうか。寡聞にして、そして老害化石脳の不勉強ゆえ、不知なのだが。
 
 うちで使いものにならんとなって放り出したら、こいつはどこで生きてゆけばいいんだ――一方で、こんな理屈で踏ん張りながらまわしている仕事の現場というのも、世の中には必ずあった。それは、人が生身で肩寄せ合いながら、そしてぎくしゃくしながらも生きてゆくしかない、この世間のたてつけが変わらない以上、今でも必ずあるはずだ。

 何度か触れてきているような、そんな「部屋住み」の身のまま、単身者として老いてゆく人生は、それこそ「無法松」――富島松五郎の譚、になる。そんな人生は必ずあり得るものだったし、また、そういう立場にある人間というのも、あたりまえに自分の横にいて生きている、自分の立場がどのようなものであったにせよ、誰にとってもそれこそが、この世のあたりまえだったはずなのだ。

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「優秀」だけで、世の中まわっているわけではない。何も、ひゅうまにずむ、だの、みんしゅしゅぎ、だので言うのではない。まして、いまどきのあの、ぽりこれ、だのではさらにない。言葉本来の意味での「そういうもの」としての、この世間に対する理解、流行りのもの言いなら「解像度」というのは、最大公約数のところでそのように担保されているものだった、少なくともある時期までは確実に。

 それを下地にしながら、「ひと」に対する理解も支えられていた。「人間」でも構わないが、ここは敢えて「ひと」にしておきたい。そう、若い頃の「新コ」長谷川伸に、「新コさん、ひとになれ、立派なひとに」と教え諭していたという、明治期の名も無い「飛びっちょ」渡り土工の年嵩たちの声の響きに繋がることができるように。

 「ウマとおなじように、ひとを育てるのもこの商売、たのしみのひとつやからなあ」

 あんちゃんコのノリヤクを何人も立派に一人前に育ててきた、ある調教師の弁にも、その響きはあった。