CR共同幻想論、の妄想・断片

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 今みたいな情報環境で「画像」「動画」が使えるような状況だったら、丸山真男であれ吉本隆明であれ何であれ、「思想」も「論壇」も今わしらが「そういうもの」と思うてきとるようなカタチにゃビタイチなっとらんかったろうな。

「西田幾太郎が、丸山真男が、吉本隆明が、江藤淳が、福田恒存が、パチンコ台に意匠として乱舞するような状況が、かつてあったとしたら……あり得ない。もちろんそうだ。作者自身でなくても、その作品がそのような「商品」として使い回されることなど考えられなかった、」


「以前ならば。CR善の研究、CR三太郎の日記、CR闘う家長、CR共同幻想論、CR国民文学論……空想としては愉快だが、しかし今やそのような架空の設定がさっさと現実化してしまうのがこの平成の大和島根。もとより、善し悪しは思案の外。」


福田和也のやったことってのは、実は何のことない、言わば「保守」ブランドの田中康夫化で、要はワインと美食で広告資本のゼニ食い散らかし「文壇」利権の浅草弾左右衛門となる程度のこと。」


「能書きは何であれ「おいしい生活」ができりゃいいわけで、その「おいしい」も、メディアのまわりで踊ってあぶくゼニかっぱげればそれでよし、という程度の実にチンケな代物。」


「嘘でもおのれの筆、言論沙汰でいっちょ世の中風通しよくして、わが同胞の未来まとめてよりよいものにしてやらあ、てな勘違い含めたインテリ/知識人ならではの気宇壮大などすでになし。」


「つまりは世渡り上のギョーカイ「保守」、ないしはコスプレ「保守」。それが今やさらに退廃、かの勝谷誠彦宮崎哲弥レベルにまできれいに包茎化、活字メディアで『WILL』、テレビなら『そこまで言って委員会』や『TVタックル』、ないしはかの『嫌韓流』で釣り合っちまう程度に凡庸化。」

*1:以前、おそらく福田和也と間違えられた(らしい)ことがあったことも含めて、思い出した。 king-biscuit.hatenablog.com