声を上げるリスク――みずほ障害事案・メモ

 みずぽの障害報告本読んでるけど「積極的に声を上げることでかえって責任問題となるリスクを取るよりも、自らの持ち場でやれることをやっていたといえるための行動を取る方が、組織内の行動として合理的な選択」とあって、他人事ではない気がしている。


 これでは問題への気付きはおろか、ハットヒヤリすら提示されず、潜在障害の検出機会をも失ってしまう。こういった問題提示がなぜ責任問題になってリスク化するのかちゃんと考える必要がある。最たるは減点主義だからだろうけどね。減点主義ってどういうことなのか?


 システムや運用、組織運営でもなんでもいいけど「声を上げる」という行為は潜在障害を掘り起こされる行為なんだよな。減点主義だとそれを積極的に掘ろうとする者の口を塞いでしまう。組織自体が改善より今問題を起こさないことの方にフォーカスする。それが評価軸だし、とにかく叩かれないから。

「自分ごととして行動すると損をする」ということなんだろうね。組織が巨大だから、めちゃくちゃ損する。それは嫌だ、避けたい。だから声を上げない。

会社経営に限らず、過去の戦歴をみても、技術力の格差は突き詰めると、組織形態の差に起因しますね。

リスクを取ると、「分かっているなら、なぜ対応しないの、君」と、その解消処理を押し付けられる。
全体最適よりも部分最適の方が、社内という狭い中では生きていける。


自分はスーパーマンになれない事を知ってる。
そして、誰も救ってくれない事も知ってる。

トヨタ式の真逆がみみず式ですね。
わかりました。

合理性が組織主体か個人主体か
うーん、終わってる

激おこ案件なので言語化をオブラートに包まず明確にしてあって文書としての価値が高い

問題は解決しないが、責任は問われない