毒親の記憶・断片

これ、書いたらミュートするから反応できないと思う(傷つきたくない笑)


小学校三年生の時だ。


笛吹きケトルの音が鳴り止まなくて、きっとお母さんが泥酔して火を消し忘れたんだと思ってキッチンへ行った。


案の定シンクにもたれて酔い潰れてた。


火を消して「危ないよ」って声をかけた。


お母さんはムッとした顔をしてヨロヨロ立ち上がり、薬缶を手にして私の足目がけて熱湯をかけた。


私は一人で風呂場の水で冷やして寝た。


お母さんはシラフになって事の重大さに気づいたようだった。


何が重大かって『自分がしたことが父親にバレること』だ。


大丈夫、お母さん。私は言わない。自分でやったって言うよ。ボンヤリしててお湯をこぼしたって言うよ。


私はそれよりも靴が履けないことの方が辛かった。


学校へ行くためにスリッパを履いた。足に巻いた包帯は校庭の砂埃ですぐに汚れた。


担任の先生はまだ若い女性で私を嫌っていた。


私はオドオドしてて、嗜虐心を煽ったんだと思う。それに便乗してイジメも始まっている中に、足を引きずってスリッパで登校した私は彼らの憂さ晴らしの格好の餌食だった。


あれから何年経った?


今年46だ。


37年経過した。


傷は消えない。


けど、人には、少しだけ、優しくなれた、つもりだ。


そしてまだ、母を憎めない。


酔わないとやってられない何かが彼女の中にあったこと。


苦しい酒だったことが、なんとなく、わかるからだ。


この話をずっとしてきたし、これからもするだろう。


これを書くと『そんな母親死ねばいい』と言われるけれども、もう彼女は死んだ。


私に残ったのは傷だけか?と自分に問うと、それは違う。


傷を負った人の悲しさを知る心も残った。


彼女がやったことは許すべき事ではないし、いじめられたことを許したわけではない。憎む気持ちも勿論ある。


これで良かったとも思わない。


説明が難しいけど、でも、愛する気持ちも消えない。


だから、厄介なんだ。