映画とアニメのあいだ、の記憶・メモ

 私は高校の時、映画部に所属していたが、ちょうど私が入部したあたりからアニメブームになり、映画部の部員の殆どがアニメに心を奪われてしまった。


 「ゴダールが、フェリーニが、クロサワが…」の世界が「ヤマトが、ガンダムが、ミヤザキ・スン(当時は名前が読めなかった)が…」に変わってしまい、アニメに乗り遅れた私は、全然おもしろくなくて不貞腐れていた。


 部長が「アニメもいいが、映画部らしい活動もしなければならない」と言い、ある脚本家を呼んで、お話をうかがう機会を持った。しかし、アニメにのめり込んだ部員たちは、このイベントに興味を示さず、部員55人のうち、私を含めて4人しか参加しなかった。


 会場を見渡した脚本家は呆然として


「話が違う」


と言い、不機嫌になった。


「アニメにしか興味を持たない部員が増えたので….」


と言い訳をすると


「それじゃあ、アニメの脚本家に声をかけるべきだったな!」


と皮肉を言い


「アニメなんてぇのは二流どころがやる仕事でね。俺らはバカにしてるんだよ。口には出さないけどね。あんなのにうつつを抜かすガキが増えたから映画界はダメになってるんだ。まあ、アニメなんか今だけチヤホヤされとるだけで、来年には誰も見向きもしなくなるんだよ」


と怒りを露わにした。


 私たちは、その怒りっぷりに恐怖を覚え、緊張して一言も口をきけなくなってしまった。


「……なんだよなんだよ黙りやがって!…こんな雰囲気で話なんか出来るか!どうせお前らもアニメの方が好きなんじゃないの?この芋が。田舎の芋ガキが。お前らなんか嫌いだ!泣くな!もう俺は帰る!」


謝礼の袋を引っ掴むと脚本家は、振り返ることなく去っていったのだ。

 「映画」が無条件で「優れた」総合芸術であり、ジャンルである、という信心が肥大、強化されていったのは、やはり戦後の過程の一環だったんだろう。それこそ「視聴覚文化」といった枠組みがもてはやされるようになってゆく過程などとも、手に手をとって。

 「アニメ」がそう呼ばれるようになる前、「漫画映画」だった時期もあった。「映画」ではあるけれども「漫画」である、だから当然のように「子ども」相手のものであり、大真面目に「芸術」だの「文化」だのと認められるようなものではない。同じ頃、出始めた頃のテレビが「電気紙芝居」と呼ばれてバカにされていて、「紙芝居」という「子ども」相手のものにすぎない、というニュアンスが前提に含まれていたのと同じように、「漫画」とはっきりレッテル貼りされることで、「大人」が正面から相手にして語ったり論じたりするものではない、という意味づけが明確にされていた。

 それでも、「子ども」相手で始まることの強みは、「おもしろい」と「好き」一発で客が動き、そのモティベーションだけで概ね商売もまわるところから、ことが起こってゆくことだった。現場で携わっている者たちの事情とはひとまず別のところで、あくまでそういう「おもしろい」と「好き」だけを原動力にして客が、つまり市場が具体的に形成されてゆく。そして、その市場の側からの要請が、逆に制作現場に何ものかを投げ返し、徐々に規定してゆくようになる。

 ここでたまたま記された「映画部」の内実が「アニメ」に浸食されてゆく過渡期の断片は、「美術部」が「マンガ」や「イラスト」に、「文芸部」が「SF」や「ジュブナイル」そして「ラノベ」に、それぞれ置き換えられてゆく過程とも、基本的に同じものであり、そしてまた、概ね同じ時期のできごとだったはずだ。