人はいかにして「出羽守」になるのか、問題

 人はいかにして出羽守になるのか問題。自分自身の見聞や体験が新鮮で刺激的であればある分、その見聞や体験と紐付けられた「現場」性を至上と思ってしまう心性がまず前提にあるんだろうな、と。*1

 それまで形成されてきた自分にとっての現実に何にせよ不満や不安を抱いていて、でもそれは概ね漠然としたものだったのが、それまで生きてきたものとは違う文脈の現実に接することでそれまでを全部「間違ってた!」的にひっくり返せると思ってしまう、何というかそういう「一発逆転」方向に迂闊に出口を求めてしまうような抑圧が常にあるような条件も、また。何か新しい見聞や体験をしたことをきっかけに、そこから一気に一足飛びに「(これまでの知識or自分は)間違ってた!」的な「気づき」なり何やりやらかしてしまえることができる、それ自体がもうある意味マジメというか信心深いというか。前向きっちゃ前向き、上昇志向っちゃ上昇志向な、いずれそういうタチのメンタルがあらかじめどれくらいの濃度で準備されてるかによって、発症して後の「出羽守」度もまた決まってくるような。もちろん、そういうのはいわゆるマルチやカルトにハマってゆきやすい心性、とある意味似たところがあるわけで、そういう意味ではやはりマジメではあるんだろう、と。マジメに素直にバカ正直に競争社会的な環境に順応しようとして、でもそれが自分基準としては不満足、「こんなの自分じゃない」「こんなはずじゃない」的鬱屈がどこかにわだかまってる前提が。

 かつて橋本治が、どうして「帰国子女」のステレオタイプはオンナになるんだ問題を、海外(当時はほぼ欧米)留学した彼女らが、日本語環境でうまく表現できなかった(と思っていた)「自分」を外国語環境でうっかり実現できたと思ってしまう、その度合いがオトコとケタ違いだから、的説明してたっけ。日本語という言語がそれだけオンナの「自分」のカタチを定めてゆくような造りにはなってない、ってあたりに合焦した説明だったと記憶するけど、それだけでもないような気はする、という程度の留保はしつつ、でも基本的な問題認識としてはそうだなあ、と割と腑に落ちた記憶はある、その当時としても。*2

「二十歳前後の学生とか、20代後半のOLとか、そういう若い女の子達がなぜ留学したがるかというと、「日本語が喋れないから」ね。日本で自分のことを話そうとすると、社会的な軋轢とか色々あって、うまく言えないわけ。でも、言いたいことはモヤモヤと渦巻いてて、それで「日本語じゃ言えない分を英語なら言えるかも……」で、外国語に行くんだね。基本的にはそうなんだと思った。」

「普通、女が「留学」という形にしろ「一人旅に出る」となると、必ず「男女関係のもつれか?」みたいに思うじゃない。でも、そういう子は「ゼロ」だね。もう男なんて関係ないもの。それぐらい、日本の男ってだめだし、彼女たちが抱えてる問題の「答」を出してくれる相手にはなれない。だから、平気で「外国」という選択が出来るんだね。(…) 留学する彼女達は、全員ちゃんと自分のことを喋りたいのさ。だけど日本の男を相手にして喋っても、「それ以上」の答が何も返ってこないのさ。だから「これはもう無駄だ、外国のほうがもっとシビアに自分を受け入れてくれるだろう」と思って外国に行くのさ。一応「MBA」とかいう経営学修士の資格をとるためとかいうお題目はあったりするけど、本当にやりたいのは「自分を確立させること」なんだ。」

 日本語環境で抱いていた漠然として不満や不安、鬱屈を、外国語(当時のことだからほぼ英語その他の欧米言語想定)環境になじもうとしてみて初めて、あ、ワタシって自由だ、と新鮮に刺激的に感じてしまう。英語話す時と日本語の時と人格一変するように見えるコが多いのも、その衝撃が大きいから、と。雇均法以降、オンナもオトコ同様「平等」に終身雇用的現実に放り込まれるようになった(タテマエとしても)分、それまでやりすごせていたそういう日本語環境でのオンナの「自分」の不明瞭さみたいなものを一気に広汎に思い知らされるようになったという時代性もあったんだろうな、と。*3

 まあ、当時そこまでは彼も言及しとらんかったけど、今から振り返ってみてもそういう時代性もまた背景にはあったんだろう、とは思う。「会社」という抑圧の源がオンナの人がたにとっても人ごとじゃなくなっちまった、その衝撃にどう対応するかという七転八倒は「失われた30年」を通じてもなお、それこそ残留放射能のように漂っていたと思うし、いまどきはさらに拗れてめんどくさいことになってもいるような。めいろま、とか、白ふくろうおばさん、とか、Twitter上でも著名なアルファ出羽守 (なんだ、それ) みたいな人がたは各地各方面割とそれなりにおらすけれども、もしもそういう人がたのバイオグラフィーをざっくり横並びに眺めることができるならば、それはそれである意味「失われた30年」の民俗資料くらいにはなるんだろうな、と。*4

*1:焦点拡げておけば、それこそ明治期の「赤毛布」と揶揄された身振りや言動から、その後の「洋行帰り」や戦後の「2世」などまでもひっくるめて、そういう「出羽守の精神史/誌」みたいなのは、ざっくりとしたお題としてあり得るとおも。あと、これも年来指摘してきたことだけど、海外青年協力隊とそこにうっかり吸い寄せられてしまうような人がたのキモチ悪さ、などとも当然からんでくるはずで。さらに「フィールドワーク」幻想や「ファクト」崇拝主義などにも当然、また。「自分さがし」的モティベーションが前面に出てきてそれまでの大文字の「国」なり何なりを背負ってきた意識との違いがあらわになり始めていった過程などを補助線として。近年だと、スポーツ選手が「アスリート」自意識でそれまでみたいに「国」や「故郷」を背負った自意識でなくなってきたこと、そうなれなくなってしまったことなども視野に入れつつおそらく割と根深い話になってゆくお題なんだろう、と。

*2:このへん例によってやや雑な要約ではあった。元の原稿は「島国社会に訣別して女性が進化する」『SAPIO』1989年12月号で、あの『89』所収なんだが文庫版になっちまってるんで上下どっちに入ってるもんだか。おそらく下巻だとは思われ。以下、引用はそこから、為念。

*3:ただこれ、「突然イギリスはオックスフォードで留学の商売始めた」という友達 (おそらく船曳健夫がらみの話かも) が「十二人ぐらいの女の子が泊まれる家を買って、オックスフォード大学の公開講座みたいなところに日本人だけの語学教室を作っ」たのをいい機会と休暇で遊びに行って「いつのまにか集中カウンセリングやってるみたいな結果」になって「毎日6時間ぐらい、ほとんど女の子全員と話をしてた」という状況下での見聞なので、サンプルとしても聞き取り環境としても、いろいろかなりバイアスかかった上での見解ということは留保しとかんとまずいとは思う。

*4:出羽守の男女差、とかそのへんはまためんどくさい話になると思うので、この場では敢えて触れないでおく。またゆるゆるgdgdと機会があれば続けるべきお題として。