筑豊は修羅の地・メモ

 前職で博多弁使って人を威圧する人が居たんだけど、ある日北九州出身の人が来たときに急におとなしくなって、それからは北九州出身の人の天下になった。で、北九州の人と雑談してるときに「うちの父も福岡出身で。筑豊のあたりなんですけど」って言った瞬間北九州の人は静かになった。なんだその序列。


 何故かバズってて驚いた。みんな筑豊修羅ネタ好きなんやなー。ちっちゃい頃に1回しか行ったことないんやけど、駅前だったかバス停だったかで待ってたら、指全部無いおじさんが「坊主、ジャンケンして遊ぼうかぁ」って話し掛けてきたって記憶しかないんだよな。フレンドリーな人の居る良い街って印象。


 昨日は父親がうちに遊びに来たので、父親の父親や祖父の話を聞くなどした。結構な暴れ者であったとかで、その血はあんまり父や俺には受け継がれなかったなぁと思いつつ、知らないってだけで、少なからず娘の代まで続く遺伝子があるということでもあり、あまりに途方もなくて面白かった。


 殴り合いの喧嘩もようやらんような、左脳だけでなんとか生きてるような人間を三代遡ったら筑豊のごんぞ(沖仲仕)やら炭鉱夫やらの棟梁みたいな人に行き当たるというのは時代の因果なのか面白い話で。会えるかは判んないけど、俺の三代後も意外な変化を遂げるのかな、と


 親父は犯罪者ではないけど、筑豊出身者なので、犯罪に対する考え方がズレているのが面白かった。「ごんぞさんはな、悪いことはしないんだよ。でも喧嘩とかはするし、それが高じると、まぁどすとか日本刀とか振り回すことはあるけどさ。花見は喧嘩が多いから子供の頃は行かせてもらえなかったんだ」