「嘘松」について・メモ

 嘘松って言う人のことちょっと面白いんですけど、そもそも話を「盛る」って言い方する行為があるじゃないですか あれ「減らす」場合は責めないらしいんですよね どっちも「事実ではない」時点でダメでは?って思うんですけど つまり「より注目を惹こうとすること」がダメで、「事実でなくても良い」


 いやそんなことないです事実じゃない時点でダメです、っていう場合、何をもって「減らしてる」ことを判断するのか、「減らす」或いはそれに相当する言葉は何を使っているのか、ってあたりでもう割とダメだと思うんですよ そして「盛る」も事実かどうかにかかわらず「注目を惹こうとしているかどうか」が判断基準で、それが事実かどうかを確認や判断するための手法を「何も持っていない」、その判断基準が「俺がそれを盛ってると思った」「俺がそれを嘘松と思った」しかないんですよね つまり「自分の生活や知識の範囲内かどうか」でしかなくて、内容によってはその貧しさが露呈するだけなんですけど。


 これは「毎年三月三日は特殊な人形を飾り、握ったり巻いたりしない寿司などを食べて祝う」って言ったら「嘘松www」みたいなもので、それを「いや…この人雛祭り知らないのか…そっか…まあ外国人だしな…」ってされるだけなんですけど、「普段の状態なら常に自分の常識が誰にでも通用する」って完全に間違っててすごい。「俺は見破ったぜ!」って言ってるつもりだと思うんですけど、完全に「俺は世間が狭いし知識がなくていろんなことを知らないんだよ!だからお前が嘘ついてるってことにすればいい!」っていう状態なので、ワー。って思っちゃった こんな歪んだものの見方ってどうやって直すんだろ?


 なおこの場合の「減らす」は「単なる省略や編集」ではなく、「目を逸らすために事実を隠蔽する」に近いものだと思ってもらったほうがいいです 全部伝え切るのは無理なことぐらい誰でもわかると思ったので省略しましたけど……