「行政」の「党」への吸収

 書き物と報告だらけでニュースどころかつぶやきを考える頭の余白がないのだけど、コロナ禍の日本で明らかになったことって――あたかも自分が議会政治家の職分を遂行できると思っていた国士型官僚の鏡像のように――平成の行革による霞が関の権能の「党」への吸収の結果生まれた区々たる行革イシューの消化が議会政治家の業務だと勘違いしている「政治家」の発生なんだろうな。携帯の料金を安くするというのはフツーの人には国民とのdealの手段なんだろうけど、今の政権にはそれは目的になっちゃう。


 変な「観光」の振興とかも同工異曲なんだけど、マクロな国策がないとか霞が関の縦割りがとかは全部本質的にはどうでもよくて、行政の政治への吸収と官僚機構からの奪権が行き過ぎてみんな官僚になってしまったことそれ自体が問題なんだなと最近やっとわかってきた。