高知競馬の奇跡・メモ


 高知はまず2002年に廃止の話が出て、翌年に県と市が累積赤字88億円を負担(帳消し)したという判断がすごい。当時から競馬場を存続させる理由が「雇用」「地域経済効果」なのも一貫している。それでも単年度赤字になれば廃止という背水の陣。そこに現れたのがハルウララと。


 しかし2004年夏以降ハルウララが出走できなくなり赤字に逆戻り。それでも「ハルウララ貯金」は2007年まで保ち、競馬法改正で補助金地方競馬活性化事業に使えるようになってナイター設備投資を決断。財政調整基金の取り崩しで延命しつつ2009年から「夜さ恋ナイター」2012年からIPAT開始で黒字化成功。


 どこかで何かが欠けてたら廃止になっていたかもしれない綱渡りの状況だったのは間違いなく。一方で廃止になってしまった競馬場もピースの幾つかがハマってさえいればもしかしたら存続できていたのかな、なんてことはここ数年の景況を見ていると感じるところです。


 ただ「高知だからできた」と思うところはあります。なんとも言い難い不思議なパワー、底力がありますよね高知には。


 高知競馬の収支については高知県HPにも載っていますのでご参考に。
pref.kochi.lg.jp/soshiki/162201…
 以前のツイートでは文字数の関係で途中省きましたが、ナイター導入でまずネット発売額(オッズパーク楽天競馬)が増加、後にI-PATやSPAT4も加わって火が付いていった感じですね。

 今となっては地元競馬場がなくなってしまったことが悲しい

 何気に高知は追い込まれてからの発想が凄かった様な気がします。日曜の夜にナイターやったり、予測不能な一発逆転ファイナルレースとか

 当時、インターネットの有効性に気づいていたホリエモン高崎競馬場を買おうとしたお話を聞いたけど、残念ながら理解されなかったみたいで(大人の事情もあったようで)。もっとネットが早く広まれば、多くの地方競馬も無くなる事なかったと思うと、なんだか切なくなりますね😥

 ライブドアは当時いくつかの競馬場に打診していたようですが、どこも取り合わなかったということは条件がよくなかったのでしょう。

 日本トーターへの民間委託も大きいと思います。
確か公営競技の民間委託の最初だった記憶があります。(元祖か最初の方だったかは失念しましたが)

 当時はまだ公営競技の中でも民間委託は珍しかったですからね。