スポーツ選手と〈そこから先〉・メモ

 昔、仕事で出稼ぎに来た日系二世のおじさんとつきあいがあった。この方は若い頃、地元のクラブチームのサッカー選手だったという。お父さんに「サッカーが出来るのは今だけだ。もらった金は使うな。引退した後の元手にしろ」と言われ、引退後にレストランを開いて、それを経営していたという。


 このおじさんには仲の良いチームメイトがいた。


「彼は僕よりサッカーが上手くて人気者で、お金も沢山もらっていた。だけど、もらってたお金をどんどん使って、今じゃホームレス。酒やクスリで頭やられて、道で僕に会ってもわからない。僕はお父さんに感謝してる」


という。考えさせられる話だった。


 この方は、ジーコが日本代表の監督になった事に関して、


「日本はなんでジーコを監督にしたのかね。ジーコは凄い選手だけと、頭は良くないから監督には向いてないと思うよ」


と言っていて、へーと感心してしまった。


 その時、私はサッカーには詳しくなかったが、自分なりに考えて、


ジーコさんは始まったばかりの日本のプロサッカーを助けてくれた大事な人です。だから、大事なワールドカップの監督を任せて、その恩を返したかったんじゃないでしょうか」


と答えた。


 すると、おじさんは


「大事な人なら、上手く出来ない事を任せない方がいい。上手く出来る事を任せた方が、お互いのためになるよ」


鋭い!と又納得してしまった。


 レストランを経営していたお父さんがなんで出稼ぎに来ていたか、というと、共同経営者(日系ではなかったらしい)の人が金を使い込んで、借金まで作って失踪。レストランが抵当に入ってしまったので、「買い戻すため、短い間にまとまったお金を作らないければいけなくなった」から、だという。

 なんだか、この話を聞くと日本のスポーツは社会の訓練場みたいなもので、ブラジルのスポーツは特化された個体の養殖場みたいな感じ。

 さっきの安田さんのコラム読んで思ったのだけど、日本のスポーツ選手の場合は体育会特有のパワハラ体質に染まりながらも、社会ではそれなりに順応して生きていけそうなんだよな。ブラジルのサッカー選手の多くにはそんな感じがしなくて、星飛雄馬のような「それ以外にまったく能のない感じ」がする。

 「スポーツ」というもの言いが、本邦世間一般その他おおぜいレベルの普段使いの語彙に入り込むようになっていったのも、やはり「戦後」の過程だっただろう。それこそ「スポーツ新聞」の簇生などと期を一にして。

 文部省が「学校」教育からどんどんシフトを広げていって、それはそもそも「学校」教育だけを管轄にしているままでは、お役所官庁としても幅の利かせようがなく、にっちもさっちも行かなくなってのことだったと思うのだが、文化庁などを傘下にぶら下げながら、社会教育からスポーツ、文化芸術一般などにまで手広く管轄範囲を拡大、利権のシマをなにげに幅広いものにしていったここ30年ほどの過程 (ああ、「失われた30年」だ……) においても、特に「スポーツ」は目玉のネタとして使い回されるようになってきた感がある。

 自分などの子供時分、世間の語彙としてはまだ「運動」だった。「運動選手」であり「運動部」だった。学校の間尺だとせいぜいが「体育」。だからなのか、未だに「体育会系」というもの言いは何となく生き残っているが、そもそも学校に限ったところでしか、それら「運動」の機会はなかった、本邦常民同胞の多くにとっては。戦前だと柔道、剣道、相撲などの土着由来度の強い武道系に、競技種目としてシンプルに理解もしやすかった陸上競技が加わり、さらに輸入ものの新たな種目としての野球だの籠球、排球、卓球、蹴球なども入っていって、といった経緯がざっとしたところなわけだが、確認しておかねばならないことは、それら「運動」に関わっている者はどこか異物で特別で規格はずれで、その生身のカラダ由来の具体的な能力の卓越は、関わることがほぼオトコに限られてもいたことともあいまって、やんちゃで腕白でバラケツで暴れん坊で、といった、オス的な個体属性と共に意味づけられるようなものでもあった。

 あいつの兄貴、「運動」やっとるんやで――こういったもの言いで若い衆同士の間で認知される個人のありようというのは、不良であり愚連隊でありヤンキーであり、そしてその向こう側にヤクザなどまで見通せるような拡がりの裡に、正しくあった。そのような肉体的身体的な優越が、世間を渡ってゆく上での利点になり長所になることは、未だ労働が身体と直結していた時代のこと、社会にいくらでも選択肢は当然、あったわけだが、ただ、その優越をそれら世渡りの稼業以外でも活かせるとなると、同じ特性が一気に剣呑なものにも反転し得たのは、それもまた世の理、世間の「そういうもの」でもあったろう。

 だから、「運動」をやっていたような肉体的身体的な優越を、その「運動」のたてつけの裡でそのまま稼業として活かしてゆくようなことは、基本的にものすごく狭い道でしかなかった。柔道や剣道などの武道系の子弟制度の裡に生きるか、あるいは、当時まだ明らかにカタギのなりわいではなかった相撲に身を投じるか、でなければ、新たに前景化してきた「軍隊」という装置の中で、頼りになる兵隊として身の置き場を求めるか、せいぜいその程度でしかなかったろう。

 一方、昨今はというと、スポーツ選手の「セカンドキャリア」などまで新たな課題として持ち回られるようにもなっている。と同時にまた、そもそも「スポーツ」に関わる機会が学校から社会の側に大きく開かれていった結果、小さい頃からスポーツクラブに入り、そこで成長と共に能力を高めてゆく英才教育的な過程を踏んでゆくスポーツエリートがあたりまえにもなってきて、すでに格差や分断の大きなエンジンにもなっているところもある。

 かつて、伝説的な黄金時代を謳歌した西鉄ライオンズの「鉄腕」稲尾は、生家の稼業である漁師として小さい頃から船の艪を押すことで足腰を鍛えられていた、といった、「運動」の選手がその人並み外れた肉体的身体的な優越を獲得するに至った理由を説明する語り口もまた、いまやすでに時代遅れな「おはなし」の定型でしかなくなっている。

 ああ、そういえば、マンガでもアニメでも、鍛錬や努力の過程の果てに優れた能力を獲得する、という、ある時期「スポ根」などと揶揄もされた「おはなし」のたてつけは後景化してゆき、それら説明などなくとも登場した時点から卓越しているというキャラクターがあたりまえになってきた、などともどこかで言われていたっけか。まあ、例によってかなり雑駁な議論だと思うし、真偽含めていろいろ要検討だとは思うが、ただ、それらの視点とは少し別な角度から、ひとつ言えるかもしれないと思うのは、主人公の「成長」という要素がそれら「おはなし」の話法において重要なものではなくなってきた、少なくとも便利に使える切り札ではすでになくなっているのかもしれない、といったあたりの事情だろう。敢えてそれっぽい能書きの方に引き寄せるなら、「貴種流離譚」的なたてつけの衰退、あるいはビルドゥングス・ロマン的な話法の機能喪失、といったお題につなげられるのかも、だが。