商社のやっていたこと・雑感



 商社とか代理店とか、「右から左へ流して上前をハネる」とか「自分たちでは何も創り出さない」みたいに言われるけれど、彼らは情報を売っているのですね。どの時期どの地方にどういう人たちが何を欲しているか、それに応えられる商品はどこの誰が幾らでどれだけ売っているのか。


 ぶどうとか農産物をいくつか取ってみて、つくづく感じたのは、デパートのバイヤーさんがついてるフルーツ売り場って、ほんと目利きなんだなと。あと、目利きに叶うよう努力してる農家さんたちの労力の結晶なんだなと。種を蒔けば、売り物になる、なんてことはありえないのだなと。

ふるさと納税という制度、いまは多彩な地方の返礼品の魅力で都心から地方へ税収が偏ってるけど、都心の自治体がメディアやエンタメや出版社や物流や商社やらの本社パワーで地方じゃ太刀打ちできないくらい魅力的な返礼品で殴り返してきたらどうするの?みたいな事は思っちゃう。

 90年代にインターネット(WWW)が盛り上がり「誰もが世界へ情報発信できる時代になった」と言われたとき、「もう商社の時代は終わった」「これからは消費者と生産者が直接取引する時代になる」と言われたことがありました。今から考えたらとんだ脳内お花畑でしたね。


 「誰もが世界へ情報発信」という素朴で牧歌的な夢の先にあったものは、GoogleAmazonという情報を牛耳る超国家的企業が日常の隅々にまで触手を伸ばす世界でした。


 2003年に会社が株式市場に上場して「もう商社の飼犬にはならない!」とばかりに自社ブランド製品の開発販売を推進して、売れもしないものに必死に開発費を注ぎ込み、およそ見当違いの販促キャンペーンをやって、満身創痍の大敗北をやったことがあるのです。おおむね「武士の商法」でしたね。


 「生まれつつあるニーズをいちはやく把握し、それに応える製品を創り、それを欲している人に存在を知らせる」という一見当たり前のことに、どれだけのコストと労力とノウハウが必要かを身を持って思い知りました。結果的には敗北だったけれど、良い勉強でもありました。


 それまで「商社の飼犬」として「納期納期ってうるせぇんだよバーカ、納品が1-2週間遅れたところで誰か死ぬわけじゃねぇだろ」と思っていたのが、コンシューマー市場は流動的で「必要なとき」というファクターは物凄く重要で、1日の遅れが千万円単位の売上げ損失に直結すると思い知りました。


 コンシューマー市場は「商戦」で、商社はリサーチから広告・流通と小売店の棚を押さえることに物凄い費用とマンパワーを投じていて、それなのに予告発売日に売るべき商品が届かないというのは、戦争なら陽動作戦と準備砲撃で戦線に穴を作ったのに突入部隊が居ないみたいな話です。


 「要求仕様どおりの商品を要求納期に納める」という当たり前のことがどれだけの意味を持っていたのか、「商社の飼犬」だった頃には当たり前すぎてわかっていませんでした。


 地べたを這いずる兵隊として「納期は絶対に死守すべきである!」と頭ごなしに命令されて、よくわからん仕様・碌にテストもできていないコードを「出せ出せとにかく出せ」と、まるで学生召集兵にパンツァーファウスト持たせて最前線に送り出して全滅して「言わんこっちゃない」ってのも体験しています。


 でもその反対には、市場要望の把握も流通の確保も宣伝による商品の周知も棚上げにして「いいものを作れば絶対に売れる」という、作り手の脳内事情で完結した空回りもあります。武士の商法っていうやつですね。

 「経済」という語彙にまつわってきたさまざまなもの、が、またここにきて新たな自省と振り返りを引き出しつつあるような印象の、昨今のあれこれ世相。

 このところずっと継続している(まあ、例によっての好き放題なペースではあるんだが)作業の中に、どこかでそういう「経済」について、本邦世間一般その他おおぜいがどのように認識して/させられてきたのか、といった、民俗レベル含めた「歴史」についての落ち穂拾いみたいなところもあったりする分、このあたりのこういう素朴なコメントなりtweetなりがTLに流れてくると、ひと手間かけて記録しておくことになる。

 かつて、まだはるかにまともで中身も充実していた(いまの眼&感覚からして)頃の新書や、一般向けの啓蒙的なペーパーバック、のちには「ビジネス書」とひとくくりにされていったような類の雑本などを、そのような「経済」理解の精神史みたいな補助線で拾ってゆくと、たとえば「物流」という局面がそれらの中で前景化してゆき、そしてそのあたりから派生しながら「マーケティング」「広告」などもからんで、いずれそれらは同時代的な〈いま・ここ〉をどう見てゆけばいいのか、「大衆社会」だの「情報化」だのとも合流しながら、結局「経済」の杓子定規な大枠から「消費」という角度からのあらたなフレームを期せずして「発見」してゆくことになったらしいことが、漠然とではあれど、一連の線としてつながってくることになる。

 ここで触れられている「商社」というビジネス、商売のありようにしても、そのような戦後の大きな「経済」の流れの中で転変していったところは当然あるわけで、それは「生産」の仕事をどのように「市場」につなげてゆくか、から始まり、かつての問屋のようなまだ牧歌的で従属的な「つなげる」仕事だったところから逆にその「つなぐ」「生産」にも「市場」にも主体的に影響力を持って、双方を調整しながら、より「合理的」「能率的」に整えてゆく役回りを担うようになっていった、そんな経緯もまた、何となく見えてきたりもする、これまた例によってのいまさらながらではあれど。

 「生産」ではなく「消費」こそが最終的な目的であり、だからそれを担う「消費者」こそがこの「経済」の主体であり、それらを軸足にしながら「まわっている」現実、それこそが「市場」の全体像なのだ、といった、意識せざる視野の大転換。あの「一次産業」「二次産業」「三次産業」という割り付けもまた、ある時期まで言われていたような内実とはまた別の、いわば舞台の書き割りから変わってしまった中での位置づけ、意味づけをせざるを得なくなってきた過程というのもまた、厳然とあるように感じている。

 モノとヒト、市場の関係のこのような根こそぎの転変。当然、「経済」から「社会」、さらに端折って先走るなら、そもそも「現実」という語彙の内実にもそれは避けがたく関わってきたはず。いわゆる人文系の〈知〉の、すでに不可逆に見える煮崩れの現状にもそれはまた、当然関与しているはず、でもある。*1

*1:例によって、引き続きお題箱の中の、割とがっつり「重い」お題として。