料理はできますか?


 合コンで「料理はされますか?」と聞かれ、こいつ私を食堂にするつもりか? と「逆に、されますか?」と聞き返すと「僕はコンビニやスーパーの弁当ばかりで……」と言われたので、「じゃあどうして私に料理をするか聞いたのですか?」とさらに聞いて微妙な空気にした過去。


 20代前半のころは「価値観の合うパートナーを見つけるぞ!」とよく合コンに行っていたけど、なんかもう、向こうさんの、一緒に住んでセックスがしたいか家事をさせたいかみたいな欲望をいかに隠して釣るかが透け透けの騙し合いに疲れてもう数年行っていない。

 何も肩肘張って「思想」だの「主義」だのと言わずとも、いまどき本邦おんなさんがた、概ね30代から下あたりくらいかな、いずれこういうフェミニズム的な認識枠がごくナチュラルに、「そういうもの」として普通に実装されてしまっているのだろう。だから、何でもない日常のありふれた局面においても、その認識枠がこのように稼動して、それぞれの内面にこういう具合に傷をつけてゆくという、ひとつの事例≒民俗資料として。

 で、こういう認識枠を実装したまんま、「恋愛」や「婚活」に向けて「がんばる」ことも普通に起こっているわけで、そうなればもう、眼に映り耳に聞こえるあれこれ現実のよしなしごとの全てが、そのフェミ的認識枠に反応するようにもなる「まじめ」な人がたもそれなりの比率で存在しているわけで、それらの「おモキチ」を日常言語で吐き出すことのできる場もSNS以下、多様に準備されているいまどきの情報環境のこと、そこにまた「いいね」という承認欲求充足のコインがわらわらと集まってくるから、外見や立ち居振る舞いは特に変わらずとも、その内面≒「おキモチ」は日々そのような方向で常に波立ちさざめき、まあ、その、イライラやもやもやの類は途切れることはないのだろうな、と。

 むかしのおんなの人はこんなこと感じなかったのかな?――この程度の留保や立ち止まり、というのもしなく/できなくなっているのだろうか。

 たとえば、自分の母親でも先輩でも何でもいい、自分が「正しい」と思えるその認識枠にひっかかってくるようなイライラやもやもやについて、これまでのおんなさんがたは感じてこなかったんだろう、だってそんな勉強はさせてもらえなかったし、世の中自体がそんなこと言ったりすることのできないものだったし、そういう「自由」のない時代に生きていたんだから、気の毒だけれども仕方ないのよね――こんな感じで、自分の生きる〈いま・ここ〉とこれまでの歴史的経緯来歴とをあらかじめ切断してしまう仕組みは、何もフェミ関連でなくても、いわゆる思想なり学術研究なりの言語空間に素直にマジメにハマってゆくような人がたほど、自覚のないままこれまた実装されている認識のありようらしい。

 だって、合コンに参加はしてきている、だから会話の糸口として自分に対して「料理はされますか?」的な声のかけられ方をするのは、まあ、普通にあるだろうし、またそれに対して「(゚Д゚)ハァ?」と思ったとしても、ひとまずそういうものとして受け入れるのが処世だろう。そりゃそう尋ねた相手のおとこ(でなくてもいいが)が自分の好みでなく、興味関心もひかないような第一印象であってもそれはそれ、だからといってそこから発して、結果「じゃあどうして(以下略)」に至るようなことばのキャッチボールをしてしまうことは、まあ、何というか、つきあいにくい人だな、と受け取られてしまうだろうし、その程度の予測も立てられないくらいに「社会性」に欠けている人なんだ、と判断されて、それ以上の関係の深まりは得られないだろう、そのことの良し悪しはともかく。

 ああ、キツいなぁ、と嘆息してしまうのは、それでもなお、この人、「価値観のあうパートナー」を見つけること、を割と本気で考えているらしいこと。もちろんそれは「恋愛」をそのような「パートナー」を見つけて、できれば結婚に至ることまで含めて想定しているということなのだろうが、ただ、そのような可能性を感じさせてくれる(と、この人が思う)相手が仮に出現したとしても、そこから先、具体的な「関係」を持って、それを維持しながら互いの「自分」を照らし合わせながら信頼を深めてゆく、というしちめんどくさくて手間暇かかる過程をこの御仁、おそらく踏んでゆくだけの「覚悟」≒前向きなあきらめ、は、このままだと持てないままなんだろうな、と。

 で、そんなのかったるくてキツいから、何か手早く早上がりに勝手に「確認」したいとなると、そりゃ「セックス」がその「関係」に対するひとつの判断材料としてことさら選択肢の上位にランクされてもくるんだろうな、と。そしてこれまたいまどきのこと、その「セックス」についてのおんなさんがたとしての認識も、少し前までとまるで変わってうっかり「開放」されてきている分、自分ごととしてあまり立ち止まって考えないでいいまま、「おキモチ」の「正しさ」まかせに踏み出してしまうようになっているところもあるはずだから、なおのことその「関係」の脈絡での意味づけや相互の「わかる」につながるような契機に届かないまま、行為だけが別の水準で加算され、その「関係」をますます不明瞭にしてゆく澱としてだけわだかまってゆく、と。

 「セックス」と「家事」が突出して意識されているらしいこと。〈それ以外〉が「結婚」(という制度でもいいが)を維持してゆくことの裡には膨大に、個別具体のしちめんどくさいこととして含まれているらしいことは、おそらく想定外。いや、別に結婚や恋愛だけでなく、他人と結ぶ「関係」自体、あらかじめものすごく不自由で硬直したものとしてしか、この人は自分のものにしてこれなかったんじゃないのかな。いや、そりゃしんどいだろうしキツいのも間違いないだろうけれども、でもそのしんどさやキツさってのは、他でもないこの人自身の「そういうところ」に由来するものであるはずで、なのにそのことに穏当に気づいてゆける「関係」も「場」も、このままだとおそらく持てないままだろうな。

 「ほったらかされる」こと、ちゃんと「かまってもらう」をされないままでいること、が蠱毒化の大きな理由なのだということに、どうやったら気づいてゆけるんだろうな。特に、いまどきの本邦の若い衆世代(でもないかもしれんが)のおんなさんがた、にとって。*1


 

*1:なんか関連しそうなお題がらみのあれこれ、このNOTESの中をざっとさらってみただけでも結構書いてた……自分でもあらためてびっくりしている。 king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com

いなかのヤンキーのしあわせ・断片

 地元の16とかで子供産んでるヤンキーカップル、2人で長距離ドライバーやって月収80とか稼いでる。でかい一軒家建てて週末は地元の連れと庭でバーベキュー、正直奨学金借りて大学行って都内のうさぎ小屋並みに狭いマンションをローンで買い、30過ぎて不妊治療に金使うより生物として圧倒的に正しいよね

 これを幸せと思うかは人によるだろうけどこのヤンキー夫婦は少なくともワイが持ってないものを全て持ってる。身一つで稼ぐ強さもヤンキー特有の縦社会でやってけるコミュ力もワイにはない。キャリアを気にして遠のく結婚と出産、奨学金借りて大学行っても初任給は20万くらい、何者にもなれない人生😀


 これ正しいっていうのは生物として理にかなってる、合理的だよねって意味であってそれ以外の生き方をしてる人を悪と言ってるわけではない。ワイは夜の仕事までして無理して大学に行ったけどそんなことしなくても答えはここにあったんだという気づきを吐き出しただけなので深読みして傷つかないでくれ

 そんなカップルいたら相当な努力したんだろうなって尊敬しますね。


 長距離ドライバーってほんとうに過酷な仕事です。命懸けでもあるし、それでいて二人で80万稼ごうと思ったらかなりの量の仕事をこなす必要がある。子育てしながらそれって本当に努力の賜物だと思います

 こうしたマイルドヤンキーが実在したらすごいけど、田舎でもデカい一軒家を建てたらローンが大変だし、二人で長距離ドライバーやってたら、子育て難しいし、夫婦で会う時間も少ないし、決まった休みがあるかもわからんから、週末に地元の異業種の仲間とBBQは難しいと思う。休養も必要だし。

 田舎で地元の仲間とBBQやってるのは、建築業とかじゃないかな。長距離ドライバーとか、交通の流れとかあるから、決まった週末に自宅に帰って休むのは難しいと思う。

 大型なら普通に地頭いいよ

 なんか長距離キツいとか身体壊すとか見るけど何年前の話しよ?いまのトラックなんかシートサスエアサス当たり前だし休憩や休息もちゃんととらないとなんかあった時に1発で会社営業停止になるから厳しいし世間が想像してるより楽やで?大手グループ企業とかで働いてたら銀行審査なんかもスっと通るし

 ほんとそうです。トラックドライバーのイメージが昭和で止まってるんですかね?その企業、業態、運搬物でそのドライバーの給料と働き方全然違うんですけどね

 以前の「マイルドヤンキー」論wから、その下地になっていた「郊外」論などなど、高度経済成長以降の本邦社会の変貌を内側から、自身その裡で生きている〈いま・ここ〉の目線と感覚から言語化してゆこうとする試み――それがうまくいってるかどうかは別にして、そういうモティベーションによるものであることは大枠認めておくとして、それらの現在形という感じなのだろう、ここでゆるく語られようとしている「いなかのヤンキー」というのも。*1

生乾きの化石、の使命

 どうも私が世間の感覚とずれていたなと感じたのは、私にとって江川紹子さんたち専門家はオウム真理教事件で活躍した人なんだけど、この時代を知らなかったり重視しない世代にとってツイッターの人であったり、テレビに出てた人なんですよね。詳細は↓。そもそも期待の大きさ、期待するものが違う。

 三名を揶揄する意図はなく、90年代なんてものは地層はるか深いところのもので、地表からは見えないし、そこにあるものは化石なんですよという話です。三名を化石とは言ってないので念の為。20年前でさえ、実感とともに語れる人々は若いなんて言えない世代だ。

 そうなんですよね、全くその通り。

 その「地表」と「化石」の間に横たわるもの、について、語れる限りは語り残しておく使命が、未だ「地表」に晒されてある生乾きの化石もどきには、あります。 twitter.com/mostsouthguita…

 たとえば自分が20代だった80年代、その20年前は「地層はるか深いところのもの」で「そこにあるものは化石」といった感覚は、正直なかったかもしれない。その20年前、つまり自分が生まれた前後のことを「実感と共に語れる人々」はいくらでもいたし、また頼まずとも語っていたように思う。

 親たちほど年齢が離れていない、でも年上の「おとな」で、日々実際に接する範囲では最も年齢の近い程度の距離感のそれらの人がたの語る「20年前」は、「昔」と呼ぶには鮮やかで、何より自分ごとの感覚と地続きに感じられるものだったから、うざくはあっても興味はかき立てられた。「歴史」ではなく。

 いまの若い衆世代、20代なら20代が自分たちの生れた前後の90年代の世相や同時代感覚を「実感と共に」語られること自体に拒絶感があるだけでなく、その時代を生きていた眼前の生身の「おとな」たちの実存そのものに対しても、自分たちの〈いま・ここ〉と無関係な自明の別もの感、があるのかもしれない。

 先日来、少しTLでも言及されている「ゼロ年代的不連続、ないしは断絶のありようとその由来」みたいなお題ともこのへん、関わってくるのかもしれず。ゆるくしぶとく要検討。

「地表」と「化石」

 どうも私が世間の感覚とずれていたなと感じたのは、私にとって江川紹子さんたち専門家はオウム真理教事件で活躍した人なんだけど、この時代を知らなかったり重視しない世代にとってツイッターの人であったり、テレビに出てた人なんですよね。詳細は↓。そもそも期待の大きさ、期待するものが違う。

 三名を揶揄する意図はなく、90年代なんてものは地層はるか深いところのもので、地表からは見えないし、そこにあるものは化石なんですよという話です。三名を化石とは言ってないので念の為。20年前でさえ、実感とともに語れる人々は若いなんて言えない世代だ。

小沢一郎の転落・メモ

 小沢一郎さん支持者

 ・日本改造計画や93年の自民離党以降の政治行動を支持した方
 ・09年の西松建設以降の検察(=国家権力)との戦いを見て支持した方

 民主党政権が出来て間もない頃まではこの2つの支持者のバランスがうまく取れていると感じたものの、10年の代表選に現職・菅直人首相の対抗として、僅か3か月前に幹事長を辞した小沢さん本人が出馬。参院選は大敗したものの、菅首相は就任して3か月。この出馬には非小沢系民主党国会議員の中で困惑があったようで、結果は党員票は予想通りの大差で菅首相に敗北。優位とみられた議員票も菅首相に僅かな差とはいえ敗北。求心力低下が言われるように


 翌年11年3月に東日本大震災が発災。小沢さんの地元である岩手県も甚大な被害が生じる。その際、小沢さんは国家が大事として地元には中々帰らず、実際に訪れたのは半年後の9月。田中角栄の愛弟子と言われ、日本改造計画や93年自民離党後の行動を支持する人の中で失望、離れる人が出始めたのがこの頃


 小沢さん自身、前年の検察審査会による強制起訴やその後の民主党からの党員資格停止処分で震災復興に前面で関わることができず、身動きがとれない焦りからか菅内閣への政策等の提言ではなく倒閣の方に動き出してしまいます。この動きに対し、小沢さん支持議員の中で違う意見・行動が表面化します


 藤井裕久財務相平野達男 参院議員といった小沢グループに属するものの中間派の議員からは大震災発災という状況での倒閣運動は国民からの理解が得られないと考えていた。実際、菅内閣の支持率は低調だったものの、小沢さん主導の倒閣運動を支持する世論はあまり高くなく、追い詰められていきます


 民主党執行部は賛成、欠席者には厳正な処分をすると宣告。中間派からは野党から出される不信任決議にいかなる理由があったとしても与党の議員として賛成するのはいかがなものかといった意見もあり、小沢さんと同調する議員たちはさらに苦しい立場に・・・


 執行部が処分をちらつかせながら、不信任賛成派を説得し切り崩す。不信任決議前夜に賛成をTVカメラの前で表明しながら、一夜明けたら、反対表明なんていうことは当たり前の状況に・・・ 菅首相と鳩山さんの密室会談で中途半端にまとめられ、その結果を聞かされた小沢さんは結果的に丸め込まられ、苦渋の決断という事で菅首相の中途半端な退陣表明を受け入れ、不信任決議を採決する本会議は反対ではなく棄権にまわる。一連の行動により、求心力がさらに低下。その後の菅首相退陣後の民主党代表選では海江田万里さんを支持、しかし野田佳彦さんが代表に。小沢さんにとって代表選3連敗


 年が明けた12年は消費増税政局といっても過言ではない状況で、3月末は小沢Gの政務三役4人が辞表を提出、一方で辞表提出をしない政務三役も複数いて、この時既に小沢Gは分裂含みだったことがわかります。また、同時並行の形で陸山会の裁判も開かれていて、12年4月の一審判決では小沢さん側が敗訴。


 前年の11年に首相になった野田首相と小沢さんは消費増税を巡る意見の違いもあったが、元々は細川政権崩壊や新進党解党といった過去の経緯から相容れない所があり合意には至らず、決裂。野田首相が政治生命をかけたといわれる消費増税の為の三党合意に小沢さんは反対票を投じる。小沢Gは離党へ動く


 小沢Gの離党の動きに、民主党執行部は小沢さんらの届を受理せず除籍処分に。その過程で奥村展三三井辨雄中塚一宏階猛の4氏の小沢さんに近い衆院議員は同調せず、民主党に残留。中でも階猛 衆院議員とはその後も関係修復が出来ないままの関係となり今に至る


 民主から除籍された小沢さんは12年夏に新党設立。その後の12年秋の民主党代表選は結果は野田首相が再選されたのだが、小沢さんに近い議員は細野豪志さんを擁立しようと試み、本人も含みを見せたが結果立候補せず。12年11月、小沢さんの陸山会事件控訴審判決があり、逆転での小沢さんの無罪判決


 小沢さんにとって政権与党・民主党を離党した後での無罪判決で時すでに遅しであった。それでも無罪判決後、小沢さんは首相交代ができないかを模索。ここで再びポスト野田として細野豪志さんを擁立しようを試みるものの、それを察知した野田首相が異例の衆院解散事前予告を党首討論で行い、封じた


 12年の衆院解散後、それでも小沢さんは他党や地方の首長との連携を模索。他党の国会議員では亀井静香さんと議員ではなかったが鈴木宗男さんとも協力を構築。首長では前 都知事石原慎太郎さんには断られるが、嘉田由紀子滋賀県知事、河村たかし名古屋市長との連携に成功。日本未来の党を立ち上げる


 未来の党での小沢さんは過去を前例踏襲した形。細川~羽田政権は細川さんや羽田さんを総理に、新進党では最初1年は海部俊樹さんを党首、民主党政権では鳩山さんを首相にしたり・・・ 未来の党でも嘉田由紀子さんを党首にして小沢さんは一兵卒として支える側にまわり当選者を増やそうとした所・・・


 自公復活、維新躍進、みんなの党が健闘の中、民主党議員への有権者の目は当然ながら厳しく、それは離党した人に対しても同様で未来の党は選挙前:61から大きく減らし当選者:7と惨敗。選挙後すぐに内紛が発生、亀井静香さんは早々に離党し、残った人も嘉田知事派と小沢派に別れる事態に。


 その後の小沢さんの事は省略します。小沢さんは93年の自民離党後から20年弱に渡り政界の中心にいましたが、12年衆院選で自公に再度政権交代した後、政界の中心は安倍さんに代わったと考えます。小沢さんの安倍さんや自民党への口撃等はとても元自民党幹事長のツイートだとは思えないものが多い。


 小沢さんは過去の離合集散で最側近として支えた二階俊博さんや藤井裕久さん、小沢さんの提示する政策を考えた中堅議員(例えば階猛さんや中塚一宏さん等)が次々と離れていき、現在も続くなんでも反対な議員になってしまいました。これは小沢さんの支持者の変遷にもいえることで、著書(日本改造計画)や自民離党後の政治行動を支持した人にとって、なんでも反対ばかりを言う議員を支持できるわけがないのです。3.11後に早期の地元入りしない事に落胆、対案を提示せず安易に倒閣運動することに落胆、妥協策や対案を言わず反〇〇ばかりいうことに落胆。この過程で支持が減りました。


 かつての小沢さん支持者には物事を俯瞰してみる事ができる人が結構いたものです。ただ、前に書いた出来事でそういう支持者はどんどん離れていきました。代わりに小沢さんを支持するようになったのは、西松建設陸山会での小沢さん対検察(国家権力)という観点でなった人たち。


 色々な経緯はあったものの自民党幹事長をやったのに離党までして自民に対抗する保守の軸を作ろうとした姿勢を支持した人と、西松や陸山会で検察と戦う姿を支持した人では、小沢さんに対する考えがまるで違うわけです。検察とのせめぎ合いの過程で小沢さん自身、反〇〇の主張が多くなっていきます。


 自民党新生党新進党自由党、(政権を取る頃までの)民主党時代の小沢さんは政策立案をする議員や各所との調整ができる議員やそれを支える支持者あっての方だということがよくわかる今の状況だといえます。今、近くにいる議員や元議員を見ればかつての輝きを取り戻すのはもはや無理だと諦めます。

アメリカンなブルーカラー文化、の頽廃・メモ


https://twitter.com/p2_ocean/status/1562733398396792833

 現在のアメリカ、工場立てて泥臭く製造業やってるウチらみたいな企業は、ますます人員確保が難しくなってきている、と痛感してます


 同じ時給が出てても

「スーパーなら空き時間は座ってスマホいじれる」
「工場は就業時間中にスマホいじれない」
「だったらスーパー行こう」

みたいな従業員多いもんで


 コロナ禍の補助金ばら撒きが生んだ副産物として、米国田舎部の、古き良きブルーカラーイズムの崩壊を肌で感じています


 毎日、工場で汗水たらしてBull Shit Jobに従事して、仕事が終わりゃダウンタウンのバーで一杯やる。そういう価値観の崩壊
*1

 仕事は兎に角楽な方が良い。金だけくれよ、みたいな感じ


 「泥臭く」「機械油にまみれ」「汗水垂らしてクソな仕事に責任感」が、田舎のブルーカラーイズムの良さだと感じていました


 ところが、コロナ禍の中で、そういう「すすやホコリにまみれる、汚ねぇ俺かっこよ」っていう価値観が、若い世代からどんどん失われていった感じ。リモートワーク万歳、みたいな。


 その結果、何が起こったかというと、「ヒルビリー・エレジー」で指摘されていた様な、「繁栄から取り残された白人層」の、就労に対するより一層の無気力化。

 とにかく、ちょっとでも嫌なことがあったら、どんどん仕事を辞めてしまう。成長意欲なんて皆無で、1㌦でも多く金が貰える職場を転々とする従業員。それから、現場作業の忌避。


 本来、リモートワークが可能な職種は、それなりに知識と技術を持ったホワイトカラーの特権であった筈。知識も学歴も持っていない、本来ならブルーカラーに従事するような従業員層が、こぞって「楽そう」という理由だけで、ホワイトカラー職に流れ込んでくるようになった


 ホワイトカラー職も、度重なる従業員の退職によって、どこもかしこも人不足だから、多少スキルや知識が不足していても、就労の口は割とあったりするんですよね。それによってサービスレベルはどんどん低下し、ブルーカラー職・現場職のモラルや責任感は悪化の一途を辿る。そんな状況を体感しています


 そういう状況下で、日本側から工場運営について責められ続けるの、マジしんどいっす

 従業員が「根本的に働かねぇ」っていう状況、現地で体感した人にしか、本質的には理解できない部分があると思いますからね……製造している製品に特別な技術が必要なく、コモディティ化しているモノなら、尚更で

 このまま、ブルーカラー職者の就労モラルが低下し続けたら、ガチで米国は中国や東南アジアに経済力で抜かれるんちゃうか?と思っています


 まぁ、僕は米国田舎暮らし勢なので、西海岸や東海岸の都会暮らし勢には、違う米国が見えていて、そっちが米国の経済をけん引していってくれる筈、と信じてます

 おーしゃんさんはなぜその仕事やめないのですか?

 僕は立場が全く違いますからね。出向者、ホワイトカラー、会計資格持ちですんで。資格と知識、役職に応じた給与は貰ってると感じてるので、辞めないのです。

 うちの米国生産拠点駐在の話聞いたけど、「そもそも算用数字が読めない人がいるので、規格値内に入ってるか判断できないからスタート」「でも南米からの出稼ぎ民はまだ金を設ける気があるからマシ」みたいな話を聞きました… 大変そうすぎます…

 そうなんです 足し算引き算がおぼつかない人たちに、「品質規格内に入っているかどうか」を測定させるのは、マジでしんどいですからね…

 うちは食品なので、マスク取る腕カバー取る帽子取るを見張ってないといけないと言ってました。そんな彼は「マスク挙げろおじさん」というあだ名がついていた……普通に生産することがどれだけ難しいか、ビール飲みながら聞いたけど涙なしにはかたれませんよね…

 日本の普通は、他国の普通では無いのですよ…

 いや本当に。日本の工場だって躾のなってないヤンキー上がり多い!みたいなこと言われたらしいですが、ヤンキー年功序列だから上の言うことは聞くし、そもそも読み書き足し算引き算くらいはデフォルトでできますものね。

 日本でも、ほんまにヤバイ層は、足し算引き算出来ないですよ… 田舎行くと分かります

 言うてそこまで田舎に工場ないから日本でもかなりその中では良い層にアクセスできてるんでしょうね。
 でも工場のトラブル聞くと、アメリカ一味違う…ってなること多いです…

*1: まさにこのへんの労働文化、生活世界の崩壊、ということなんだろうな、と。 king-biscuit.hatenablog.com king-biscuit.hatenablog.com king-biscuit.hatenablog.com king-biscuit.hatenablog.com 

霞ヶ関ブンガク、も

 この夏の人事異動で、俺は東京を離れた。激務とパワハラで心身を壊し第一線を退いてはいたが、遂に霞が関にも居場所を喪い、名実共に衛星軌道に乗ったわけだ。そんな慌ただしさの中でツイッターを開けずにいたが、生活も落ち着き、久々にログインしてみたところ心底不快なニュースがTLを賑わせていた。


 経験中心の履歴書。俺は北九州の田舎から2浪して東大に入った。中学時代に「官僚たちの夏」を読み、天下国家を語ってバリバリ働く役人たちの姿に憧れたからだ。俺には何の経験も無い。同級生たちは日がな1日国道沿いのカラオケでセックスしているか、金がなければその辺の橋の下でセックスしていた。


 俺は陰キャだから女子と話すこともなく、悶々とした思いを抱きながら家で勉強をしていると、隣の部屋からは祖母が流す八代亜紀かジュリーのアルバムの音が聞こえてくる、そんな日々。気が狂いそうだった。ディズニーランドにも海外にも行ったことはなかった。なけなしの小遣いは不良に殴られ奪われた。


 マイミクだって10人ほどしかいない。何の経験も無い俺が霞が関に入って天下国家を語るためには、東大に入るしか無かったのだ。髪を金に染め睫毛をバチバチにした姉が夜職を終え朝帰りするのを横目に、俺は猛勉強した。おかげで九州じゃ有名な進学校に入ることができた。


 2浪もしたが、キセル乗車で鳴らした寺本や成人式に「我武者羅」と刺繍した特攻服を着て来て暴れていた野田がオレオレ詐欺の受け子で捕まり、娑婆に出てくる頃には俺も東大文1に合格できていた。根深いコンプレックスと野心に燃えた俺は意気揚々と駒場東大前駅に降り立った。これからは俺の時代だ。



 だが、最初のクラスオリエンテーションでまたしても俺は高い壁、いやガラスの天井にブチ当たる。俺の文1・2スペ語クラスには筑駒、開成、麻布、桜蔭、雙葉といった有名校の奴らがゴロゴロいたが、皆一様に家が金持ちで、コミュニケーション能力が高く、顔もセンスも良かった。海外経験も豊富だった。


 夏になると奴らは慣れた様子でハワイやスイスやカンボジアへ旅行、短期留学、ボランティアに行った。俺はバタ臭いクラスやサークルの雰囲気に馴染めず、雀荘に入り浸るか、キャバのボーイのバイトに明け暮れていた。貯めた金で初めて飛行機に乗りベトナムへ行った。ベトナムにしたのは安かったからだ。


 mixiTwitterしか使ったことのない俺には驚くべきことに、奴らはFacebookを使いこなし、海外の友人に向けて英文で投稿した。俺が知ってる外人はELTのスミス先生くらいだ。ボンボンでも帰国子女でもない。mixiしか知らない。…それでも俺は諦めなかった。ドラゴン桜曰く「バカとブスこそ東大へ行け」。


 何も経験の無い俺だって、学歴という成り上がりのための回路があったおかげで、猛勉強してプラチナチケットを手にして九州の片田舎から出てくることができた。ボンボンには負けねえ、何度野田や寺本にタコ殴りされたと思ってんだ。これが俺の"経験"だ…。


 東大入試は点さえ取れればパスできる。俺は2浪したが、ネットで合格体験記も簡単に手に入る今日、何も鉄緑会なんかに入らずとも、ゲームのルールさえ頭に叩き込んでしまえば、あとは青チャートと教科書と何冊かの問題集、過去問を数周ずつやれば東大になんか入れるのだ。豊かな経験も家柄も要らない。


 現に、そうやって地方から現役で入って来ている奴もそれなりにいた。国家公務員試験だってそうだ。点さえ取れば、北九州育ちでも広尾育ちでもNY生まれでも関係ない、誰だって東大卒にもなれるし役人にもなれる。それが多様性であり、自由民主主義国家の基本ではないか。


 そもそも、良い経験とは何なのか。それは誰がどう判断するのか。幼少期から海外で育ち、流暢に英語を話し、慈善活動に勤しみ、色々な国の友人とFacebookでやり取りすれば良いのか。家に籠って本ばかり読んでいてはダメなのか、不良に殴られたらダメなのか、キャバのバイトやAV出演はダメなのか。


 学歴を武器にしてはダメなのか。太い実家も恵まれた容姿も全ては運次第だが、学歴こそ、この地獄のような社会にあって、唯一努力次第で勝ち取れる強力な武器ではないのか。経験だってすれば良い、しかしなぜ恵まれた人間が数少ない社会の成り上がり回路を忌み嫌って閉ざそうとするのか。


 心底怒りを覚える。もうこれ以上ワケの分からないボンボンたちがこの国をしっちゃかめっちゃかにするのは本当にやめてほしい。政治家だってそうだ。意思も能力も乏しいが外ヅラだけは良い議員たちが与野党問わずふんぞり返り、政治ゲームに明け暮れ、役人を呼びつけて罵倒し奴隷のように扱っている。


 一方、官庁でももう謎の「経験重視」は始まっている。官僚の人材流出、採用難に責を負う人事院は、総裁を含め幹部を「外資系」から登用したと喧伝しつつも、霞が関の労働問題を解決する能力はさらさら無く、挙句には「他省庁がこんなに忙しいとは知らなかった」「官僚は役割を終えた」などとのたまう。


 東大を卒業し目標どおり霞が関に入った俺は、連日連夜続く激務とパワハラで心身をやられ、夢破れて休職することを余儀なくされた。今はとある地方の出先機関に異動しているが、もはや霞が関には何の未練もない。正直これから先の人生だってもうどうでも良いと思っている。


 日本では、根深い封建体制、島国的で陰湿な足の引っ張り合いを社会の基礎に残しつつ、政治は万年与党と無責任野党により機能不全に陥り、一方恵まれたお花畑で天真爛漫に育ったエセインテリたちが「私の考える最強の正義」を掲げて大衆を分断し、世の中を一層息苦しくさせていく。格差も益々拡大する。


 わずかなりとも霞が関に籍を置いた人間として、こうした国の惨状をさも他人事のように記述することは慚愧に耐えないが、もう良いだろう。夢を抱いて北九州から上京しここに至るまで、多少は頑張った。あとは無数の「何の経験も無い」後身たちが、自由に機会を得て、この国を変えてくれることを願う。


 学歴重視を嫌がる人も多いけれど、その学歴ですら格差社会では有名私塾などで受験方法をトレーニングすることで格差上位の者が奪ってしまう。だけどその中でわずかに成り上がれるチャンスを得るために血のにじむ努力をする人がいる。その人たちが手に入れる官僚の椅子が、ブラック企業とは泣くわ。